フランスへの返還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/15 11:11 UTC 版)
「聖ヨハネ騎士団によるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「フランスへの返還」の解説
1660年代前半までに、聖ヨハネ騎士団では植民地から想定していたような収益が上がらないことに対する不満が高まっていた。しかも4島をフランスから購入した際の12万エキュはまだ払い終わっていなかった。最終的に、マルタ島の評議会で4島をフランスへ払い戻すことが決まった。この頃ルイ14世のもとでフランス政界の実権を握っていた財務総監ジャン=バティスト・コルベールは、マザランよりも植民地経営に積極的だったため、もとより騎士団に4島を返還するよう圧力をかけていた。1665年、聖ヨハネ騎士団は正式に植民地の4島をフランスに売却した。フランスは、この植民地に新たに西インド会社を設立した。
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