フゴッペの「文字」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 18:54 UTC 版)
「北海道異体文字」の記事における「フゴッペの「文字」」の解説
「フゴッペ洞窟」も参照 1927年(昭和2年)10月、余市町のフゴッペにおいて岩面彫刻が発見された。小樽高等商業学校の教授である西田彰三はこの彫刻について、「手宮古代文字」に対し「フゴツペ古代文字」という語を用い対馬文字や突厥文字との関連を示唆している。しかしアイヌ人の民俗研究者である違星北斗は、フゴッペの「奇形文字」には手宮洞窟の彫刻と異なり風化の痕跡が見られないことから、後代の偽作である可能性を示唆している。 相馬龍夫はこの彫刻について、手宮のものと同様に北陸地方を追われた勢力に属する人々が記した文字であるとし、「海を渡り珠洲を征(い)よ。敵を討て、畜生どもをぶち殺せ」の意であると主張している。 1950年(昭和25年)には同じ余市町においてフゴッペ洞窟の岩絵が発見された。こちらは手宮洞窟のものと同じく続縄文時代の遺跡であることが確認されており、1953年(昭和28年)には国の史跡に指定されている。この彫刻についても、手宮のものにならって「古代文字」と呼ばれることがある。 相馬龍夫はこの彫刻についても、北陸地方を追われた勢力に属する人々が記した文字としている。相馬による訳の一部を以下にあげる。 敵に奪われている豊かな地、宇気、加賀、その敵を討て、討って、討って、討ちまくれ、城門、倉門、打ち破り、次から次と、徹底的に討ち果たせ — 相馬龍夫、『解読日本古代文字』40頁より 加賀、野野。神よ討ちぬい、畜生どもを倒せ。珠洲シャクの地、鹿能の東海岸地を討て、羽咋、輪島、能登の西海岸とを結ぶ邑知地溝帯を討ち抜け、神様。ここに誓い合うは、宇ノ気と富来(とぎ)の者達であります。われらが王は珠洲におわす — 相馬龍夫、『解読日本古代文字』42-43頁より 一方で高橋良典が会長を務める日本探検協会では、フゴッペ洞窟の北壁にある彫刻について、北海道異体文字で「イイシシライ」「カワサカナハキツ」と読み「イイシシ(食獣)ら居」「川魚は来つ」の意であると主張している。
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