ファシストと青年民族派とは? わかりやすく解説

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ファシストと青年民族派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:49 UTC 版)

牛嶋徳太朗」の記事における「ファシストと青年民族派」の解説

福岡県生まれる。早稲田大学政治経済学部卒。同大学院博士前期課程修了早大尚史会に属し三島由紀夫楯の会入ろうとするが、体力上の問題から挫折その後民族派学生組織日本学生会議参加し機関紙ジャスコ』の編集長の頃から、生粋ファシストとしてドイツ・ナチズムやイタリア・ファシズム肯定強固な論陣を張る牛嶋によればファシズムとは高度にモラリッシュな運動であり、それゆえ興味本位ナチス肯定論には徹底した批判立場に立つ。そのファシスト立場は、伝統的な国粋的右翼からは批判的な目で見られがちだったが、牛嶋自身は、日本では学生時代は、存命中の橘孝三郎師事し薫陶を受ける。また高畠素之国家社会主義に深い関心示した左翼についても、所謂右翼的先入見無しに、その在り方理解関心持ち、特に新左翼共産主義者同盟ブント)の運動形態には対極的共感抱き、その現われが「ファシスト・ブント」構想とされている。 1970年代前半の反「防」(核拡散防止条約闘争においては牛嶋が代表となり外務省対す批判声明読み上げた。この反核条約闘争こそ、民族派右翼にとっての、新左翼の反安保闘争匹敵するものと認識されている。牛嶋によると、反核闘争結集した右翼こそが民族派であり、真に新右翼の語に値するものとされ、その後登場した一水会のような新右翼呼ばれる右翼を、牛嶋新右翼としては認めておらず、一水会代表の鈴木邦男対す倫理的な激し批判を展開。また維新政党・新風についても批判的である。 一水会顧問であり、元楯の会メンバーであった阿部勉は、個人的に牛嶋大学並びに運動上(早大尚史会以来)の先輩であり、2005年12月10日割腹自殺した重遠社三浦重周や元極左牧田吉明とは親交があり、また元アナキスト革命連合ARF)の一員で現在はアナルコ・ファシストとも評される千坂恭二とは20代の時以来の友である。 西日本短期大学では、メディアプロモーション学科開設携わった

※この「ファシストと青年民族派」の解説は、「牛嶋徳太朗」の解説の一部です。
「ファシストと青年民族派」を含む「牛嶋徳太朗」の記事については、「牛嶋徳太朗」の概要を参照ください。

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