ピューリッツァー賞『ハゲワシと少女』が撮影された背景についての指摘
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「藤原章生」の記事における「ピューリッツァー賞『ハゲワシと少女』が撮影された背景についての指摘」の解説
南アフリカ共和国の報道写真家ケビン・カーターが、内戦と干ばつで飢饉にあえぐスーダンで撮影し(1993年)、1994年にピューリッツァー賞を受賞した写真『ハゲワシと少女』に興味を持ち、1997年から取材をはじめる。その内容を綴った短編が「あるカメラマンの死」というタイトルで『絵はがきにされた少年』(集英社、2005年)に収録されている。 「あるカメラマンの死」で、藤原は写真が撮影された現場でカーターのすぐそばにいたカメラマンのジョアオ・シルバにインタビューし、その際シルバが撮影した、目をふさいでいる少女の写真を見せられる。シルバの写真に写るやせ細った少女は、『ハゲワシと少女』の少女に似てはいるが別人で、少女たちの親は食糧配給を受けているところだったという。その時の様子について、シルバから「親? 親はすぐそばで食糧もらうのにもう必死だよ。だから手がふさがってるから、子供をほんのちょっと、ポン、ポンとそこに置いて」「ケビンが撮った子も同じ。母親がそばにいて、ポンと地面にちょっと子供を置いたんだ。そのとき、たまたま、神様がケビンに微笑んだんだ。撮ってたら、その子の後ろにハゲワシがすーっと降りてきたんだ、あいつの目の前に」という証言を引き出している。 『ハゲワシと少女』の写真には、なぜハゲワシに狙われている飢餓の少女を救わなかったのかという人道的立場から、批判の声も寄せられ、ピューリッツァー賞受賞直後に自殺したケビン・カーターについて、米国の雑誌『タイム』や『ニューズウィーク』がその背景をまとめている。藤原はそれらについて、次のように指摘。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} “自殺したカメラマンの繊細さ、戦場報道でこわれていく心の軌跡を、あまりに「できすぎた物語」として描いている。” —藤原章生、「あるカメラマンの死」 また、四国で少女が土佐犬に噛み殺された事故を引き合いに、アフリカを日本に伝える者として、悲劇のイメージばかりを送り出すことに違和感を持っているとも書いている。 “それは、とても不幸な不慮の事故と言えるが、それ以上のはっきりとしたメッセージはない。なぜなら、現場が日本だからだ。だが、このハゲワシの前に突っ伏した少女は、アフリカでも特に肌の色が濃いスーダンの女の子だ。それだけで世界に配信される写真には、アフリカ、戦場というキーワードがついてまわり、すぐさま政治的な意味が加わる。” —藤原章生、「あるカメラマンの死」 『ハゲワシと少女』が撮影された背景についての藤原の指摘は『タイム』などのメディアで取り上げられている。
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