ピューリタンとして育つ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 02:09 UTC 版)
「ヒュー・ピーター」の記事における「ピューリタンとして育つ」の解説
1598年、イングランド南西のコーンウォールの港町フォイ(英語版)で商人トマス・ディクウッドとエイリアス夫妻の子として生まれた。父はジェントリであり、スペインの迫害でネーデルラントのアントウェルペンからイングランドへ亡命したプロテスタントの子孫で、ディクウッド家はイングランドではピーター姓を名乗るようになった。母方もコーンウォールのジェントリ層だった。 ピーターは1613年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ入学、そこでトマス・グッドウィン(英語版)、ウィリアム・ブリッジ(英語版)、ジョン・ダヴェンポート(英語版)など後に独立派を主導するピューリタン達と知り合い、1618年に大学を卒業、ロンドンへ移住した1620年に回心してピューリタンとなった。それから近郊のエセックスへ移住し1623年から聖職者として活動を開始、1625年に結婚し翌1626年にロンドンへ戻り、仕事の傍らで友人のピューリタン達との交友も欠かさなかった。ところが国王チャールズ1世の側近でピューリタン排除を狙うカンタベリー大主教ウィリアム・ロードの一派に目を付けられ、1628年に説教師資格を剥奪され身の危険を感じ、オランダへ亡命した。
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