ビートルズとの関係
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「ブラック・ダイク・バンド」の記事における「ビートルズとの関係」の解説
1968年にバンドは、ビートルズのレーベルであったアップル・レコードからシングル盤を発売した。レコードのA面はレノン=マッカートニー作曲でインストルメンタルの "Thingumybob" という曲で、これはヨークシャーテレビ (Yorkshire Television) が放映したスタンリー・ホロウェイ (Stanley Holloway) 出演の、同名のシチュエーション・コメディ番組のテーマ曲であった。B面はやはりレノン=マッカートニーの「イエロー・サブマリン」を金管バンドとして演奏したものであった。このシングルでは演奏者が John Foster & Sons Ltd Black Dyke Mills Band(ジョン・フォスターとその息子の会社であるブラック・ダイク・ミルズのバンド、といった意)で、指揮と編曲はジェフリー・ブランド (Geoffrey Brand)、プロデュースはポール・マッカートニーであった。このシングルは、アップル・レコードが1968年8月30日に、創立して最初に発売した4枚のレコードのうちの一つである (カタログ番号は APPLE 4、Apple Records discography参照)。その後の1979年にも、マッカートニーのバンド、ウイングスのラスト・アルバムである『バック・トゥ・ジ・エッグ』で録音に参加している。
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ビートルズとの関係
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「ジミ・ヘンドリックス」の記事における「ビートルズとの関係」の解説
ビートルズのポール・マッカートニーはヘンドリックスを非常に高く評価しており、ヘンドリックスの生前から「ジミは絶対にギターのエース」「ジミを出さなければ(モンタレー・ポップフェスティバルは)フェスティバルにならないよ」などと語っている。ヘンドリックスの死後も「エドワード・バン・ヘイレンはグレートだ。でも僕にとっては、ジミが永遠のナンバーワンだよ」と語っている。 ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が発売されて数日後、ポール・マッカートニーがヘンドリックスのコンサートに出かけたところ、ヘンドリックスは1曲目に同アルバムのタイトル曲「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を演奏し、マッカートニーを大いに喜ばせた。マッカートニーは「ビートルズの『サージェント・ペパーズ』が金曜日に発売されて、そのたった2日後の日曜日に、ジミはそれをステージで演奏したんだ。あの曲を初めてライブ演奏したのは、ビートルズではなくジミなんだよ。演奏は例の調子で、ギューン!バーン!と素晴らしかった」と語っている。近年のマッカートニーは自身のコンサートでこのエピソードをたびたび語り、その前後にヘンドリックスの「Foxy Lady」などを演奏するのがお約束になっている。 ジョン・レノンは自分のフィードバックが、ジミに影響を与えたと発言している。 キャシー・エッチンガム(ヘンドリックスが渡英したばかりの頃の恋人)がクラブのロビーで電話していたところ、ほかの男と話していると勘違いしたヘンドリックスが怒り、エッチンガムをこづき回した。するとジョン・レノンとポール・マッカートニーが偶然その場に通りかかり、ヘンドリックスをエッチンガムから引き離して「どうしたんだ、ジミ」と落ち着かせたという。エッチンガムは「あのときのジョンとポールはジェームズ・ボンドみたいだったわ」と語っている。
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