ビュフォンの地球史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:08 UTC 版)
彼自身は普遍史観を手放さなかったが、ニュートンが提案した絶対時間の考え方は、科学分野から歴史の時間概念変革に影響を及ぼし始めた。人類史、社会史分野から普遍史否定が行われた頃と同じ時期の1778年、ビュフォンは大著『博物誌』の『自然の諸時期』という章で、太陽系と地球の歴史を記述した。その誕生を熱い火の玉と仮定し、物質が冷える様子を実験で確かめたビュフォンは、それを根拠に地球誕生は75,000年前だと試算した。これを詳細に見ると、先ず物質の創造、光と闇の分離があり、ここには年代が与えられていない。ビュフォンは、地球を含む惑星が白熱状態で形成された時をゼロ年と置いて、その後地球が辿る過程を段階的に述べた。彼が描く地球史は、灼熱の地球が冷えて水が定着し、植物や海生生物が繁殖し、火山活動によって陸地が形成され、陸上生物が発生する。そして大陸分裂を経て、地球誕生から約67,000年経過後に人類が誕生する。 この地球史は科学的視点から作られているが、実はここにも普遍史的要素が紛れ込んでいる、ビュフォンはこの年表に、光と闇の分離を1日目とし人類の誕生を6日目とする天地創造を意識した区分を施している。また、人類誕生を6000~8000年前と置いていること、地球誕生を75,000年前としていることも普遍史からかけ離れた数字を示すことに躊躇われたためであった。地球の年齢についてビュフォンは1000万年前という試算を得ていたが、人類史6000年という普遍史の通念からはあまりにも長大なために理解を得られないと、調整を加えたものと考えられる。
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