ヒールへ転身、急死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 13:44 UTC 版)
「エディ・ゲレロ」の記事における「ヒールへ転身、急死」の解説
陥落後はアングルとの抗争に戻り、また再びWWE王座戦線に戻るも奪回はできなかった。2005年、レイ・ミステリオとタッグ王座を再び獲得。レッスルマニア21以降は本人の希望によりヒールターン、ミステリオを裏切り抗争を開始しミステリオの実の息子であるドミニクの親権を巻き込んだディープな抗争となった。ミステリオを金網戦で破ったことで抗争は決着した。10月にベビーターン(ストーリー上は「見せかけ」であった可能性も高い)。バティスタの世界王座に挑んだりタッグを組むなどしていた。また、親友になった証として、バティスタからローライダーが送られ、それに乗っての入場シーンが復活した。生涯最後の試合は11月8日収録・同11日放送のスマックダウンでケン・ケネディ戦で、パイプ椅子で殴られたふりをしての反則勝ちを収めた。 2005年11月13日早朝、遠征先のミネアポリスのホテルで死去。38歳没。死因は動脈硬化性疾患。 翌14日に収録されたRAW、スマックダウンの合同スーパーショーは本来のストーリーを全て変更し、エディの追悼大会となった。テレビでは放送されなかった第1試合終了後にWWE所属の全レスラーがタイタントロン下に集合し、WWEオーナーであるビンス・マクマホンの弔辞と共に、追悼の10カウントゴングを行った。その最中、カメラが会場の観客やレスラーの様子を写しており、母親の胸で号泣する子供の映像や、TVでは決して見せることが無い屈強なレスラー達が涙を流す姿が映し出された。10カウントゴング後、エディの追悼ビデオが流され、観客からは「Thank you, Eddie」(ありがとう、エディ)と声援があがり、故人の冥福を祈った。
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