バンド・コンテスト出場と向谷実の加入とは? わかりやすく解説

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バンド・コンテスト出場と向谷実の加入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:07 UTC 版)

カシオペア (バンド)」の記事における「バンド・コンテスト出場と向谷実の加入」の解説

バンドの名称をカシオペア改めた後の1976年野呂櫻井先述ロック演奏コミュニティ属していた小池秀彦キーボード)と鈴木徹ドラム)を入れた4人編成ヤマハ主催のアマチュア・バンド・コンテスト「EastWest'76」に出場し決勝大会まで進出して野呂がベストギタリスト賞を獲得したことでアマチュア・シーンに名前が知られ始める。しかし、決勝大会出場直後鈴木掛け持ちしていたプリズムレコードデビュー決まったことからそちらに活動シフトを置くために脱退し小池当時様々なバンド掛け持ちしていて多忙であったことから鈴木脱退受けてフェイドアウトするように脱退していってしまう。再び野呂櫻井のふたりだけになったカシオペアは、翌1977年開催されるEastWest'77」に出場するべくメンバー探し奔走野呂友人ツテ頼って自分と同学年年齢で、当時合歓音楽院(現・ヤマハ音楽院エレクトーン在籍中だった向谷実キーボーディスト勧誘して引き込んだその際野呂カシオペア指向について、向谷信奉していたミュージシャンのひとりを引き合い出してチック・コリアみたいな音楽当時活動していたエレクトリック編成リターン・トゥ・フォーエヴァー)をやっている」と口説いた一方ドラマー人選はなかなか決まらず、幾人代わる代わる入れ替えながら出場して行き決勝大会出場時になってようやく佐々木隆固定されるカシオペアは最優秀グループ賞と野呂の二年連続のベストギタリスト賞を受賞した。これが足がかりとなってカシオペアは「EastWest '77決勝大会出場メンバープロデビュー目指すこととなって都内近郊ライブ活動開始1990年代以降はこの1977年を公式にカシオペア結成の年としている。 このデビュー前時期、「EastWest'77」の審査員だった鳴瀬喜博に見いだされ野呂向谷プロとして仕事に度々誘われるうになるまた、大村憲司村上秀一といったフュージョン傾倒していたロック系ミュージシャンとも交流を築く。先行してデビューしていたプリズムとは同じロック演奏コミュニティ出身だったことから、ともに結成以前からメンバー間の交流もあった一方でフィールド違い大学ジャズ出身だったザ・スクエア(現・T-SQUARE)とはデビューしてから知り合うことになるのでこの当時面識さえもなかった。また、ともに「EastWest'77」に出場して決勝大会まで進出したサザンオールスターズとはプロ志向どうしであったから合同ライブ行ったり、一緒にイベント出演をするなど共演機会多かったバンド一つだった。

※この「バンド・コンテスト出場と向谷実の加入」の解説は、「カシオペア (バンド)」の解説の一部です。
「バンド・コンテスト出場と向谷実の加入」を含む「カシオペア (バンド)」の記事については、「カシオペア (バンド)」の概要を参照ください。

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