バンド・オブ・ジプシーズ解散後
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「ジミ・ヘンドリックス」の記事における「バンド・オブ・ジプシーズ解散後」の解説
「バンド・オブ・ジプシーズ」解散後は、ミッチ・ミッチェルとビリー・コックスをバックに活動を再開。アメリカやヨーロッパ、ハワイなどでコンサートを開催している。また、ニューヨークに自身のスタジオ、エレクトリック・レディ・スタジオを建設。1970年8月末にはイギリスのワイト島で開かれたフェスティバルに出演したが、その後のヨーロッパ・ツアーではヘンドリックスがドラッグによる体調不良に陥ったり、コックスが精神不安でアメリカに帰国してしまうなどのトラブルが続いた。 この間、元エクスペリエンスのノエル・レディングや、元マネージャーのチャス・チャンドラー(元アニマルズのベーシスト)が、コックスの代わりにベーシストを務めるのではといった憶測も飛んでいた(レディングには実際にヘンドリックスからオファーが届いていたという説もある)。 そういった騒動でツアーが中断した時期、ヘンドリックスはチャンドラーの家を訪ね、「再び僕のマネージメントとプロデュースをしてほしい」と伝えようとしていたという(チャンドラーの談話)。 同年9月18日未明(深夜から早朝)、モニカ・ダンネマン (英語版)という女性とロンドンのホテルで滞在中に急逝。死亡時は27歳。メジャーデビューからわずか4年ほどでの死であった。 死亡原因は、睡眠前に酒と睡眠薬 (バルビツール酸系) を併用し、睡眠中に嘔吐したことによる窒息死とされる。「自殺」等の憶測も飛んだが、現在では否定されている。 故郷である米ワシントン州シアトルでの葬儀には、ミッチ・ミッチェル、ビリー・コックス、ノエル・レディングといったバンドメンバーに加え、マイルス・デイヴィスなどのミュージシャンが数多く参列し、はなむけのセッションが行われた。
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