バラキ文書
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1964年、米国司法省はヴァラキに裏社会でのキャリアを書いた自分史の執筆を求めた。これまでの証言の間にある空白を埋めることを期待したものであったが、結果として彼の30年間の犯罪者としての経歴を綴った1,180ページに及ぶ原稿『ザ・リアル・シング(The Real Thing)』が完成した。 ニコラス・カッツェンバック司法長官は、ヴァラキの原稿の一般公開を許可した。これはヴァラキの話を公表することによって、法の執行を手助けし、他の犯罪情報提供者が名乗り出ることを期待してのものであった。サタデー・イブニング・ポスト紙にヴァラキの話を掲載した作家のピーター・マース(英語版)は、原稿の編集を任され、ワシントンD.C.の留置場にて、ヴァラキへのインタビューも許可された。 イタリア系アメリカ人に対する名誉毀損防止組合(英語版)(The American Italian Anti-Defamation League)は、この本が否定的な民族的固定観念を強化するという理由で、差し止めを求める全国的なキャンペーンを展開した。もし、差し止められなければ、ホワイトハウスに直接請願することを予告した。カッツェンバックは、リンドン・ジョンソン大統領との会談の後、出版許可を覆し、司法省を困惑させた。 1966年5月、カッツェンバックは地方裁判所にマースによる本の出版差し止めを求めた。結果、マースはヴァラキの回想録である原本の出版は認められなかったが、ヴァラキとのインタビューに基づいた第三者からの出版物は許可されることになった。これらは1968年に出版された『ヴァラキ文書』(日本語タイトルは『マフィア―恐怖の犯罪シンジケート』)の基礎となった。1972年には、これを原作として、チャールズ・ブロンソンがヴァラキを演じた映画『バラキ』が公開された。 フランシス・フォード・コッポラは『ゴッドファーザー PART II』(1974年)の監督解説の中で、マイケル・コルレオーネとフランク・ペンタンジェリの上院委員会での公聴会シーンは、バラキ公聴会を基にしたものであり、ペンタンジェリのモデルはヴァラキに近いと述べている。
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