バラエティ中心からスポーツ中心へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 07:20 UTC 版)
「若狭敬一」の記事における「バラエティ中心からスポーツ中心へ」の解説
2005年には第30回アノンシスト賞テレビ「フリートーク」部門で最優秀賞を受賞した。2006年よりCBCの看板番組『晴れドキ』の2代目司会を担当した。 2005年秋よりスポーツも担当するようになり、2005年より『若狭敬一のドラゴンズワールド WEEKEND SPECIAL』(毎週金・土曜夕方)を、2006年には『サンデードラゴンズ』の司会も担当する。2006年8月25日に野球実況のデビューはしたが、しばらく中日ドラゴンズの勝ち試合を実況できず、2007年5月17日にナゴヤドームで開催された中日対東京ヤクルトスワローズ戦でようやく勝ち試合を実況出来た。 2009年6月5日ナゴヤドームで開催された交流戦、中日対千葉ロッテマリーンズ戦でテレビ実況デビューを飾る。 野球実況をする際は自ら集めた細かいデータを用意し、実況に織り込んでいる。 2010年6月16日、ナゴヤドームでの岩瀬仁紀の250セーブ達成時の実況を担当した(J SPORTS STADIUMにて)。また、岩瀬がプロ野球新記録となる287セーブを達成した試合ではインタビュアーを務めた。 毎年、中日が1位指名すると予想される選手をドラフト会議当日に取材しているが、2017年まで5年連続で取材先の選手の抽選を外したことから、ファンの間で「指名を逃す」「指名されない」とすこぶる不評なジンクスになっており、「疫病神」とまで呼ばれてしまっていた。地元・岐阜出身の根尾昂(大阪桐蔭)の1位指名が予想された2018年は、厄落としとして滝行まで敢行するも、ついに根尾への取材を自粛(同年は柳沢彩美が取材を担当)。すると中日は4球団競合の根尾の交渉権獲得に成功し、「取材に行かなくて良かった」と感謝された。2019年も前年同様、滝行敢行のうえドラフト会議当日は「本社内で幽閉」となったところ、中日は3球団競合となった石川昂弥(東邦)の交渉権獲得に成功した。翌年も滝行を行い、中日ドラゴンズが単独指名で髙橋宏斗(中京大学附属中京高等学校)を獲得した。 ドラ魂キングの金曜日(月末金曜日は除く)、およびカトリーナの全部全力!(不定期)にて、架空の店「喫茶メガネ」のマスターになり、「今月のコーヒー」とB'zの曲しかメニューにないコーナーをもつ。 2020年10月15日に行われた中日ドラゴンズ対阪神タイガース戦において、CBCドラゴンズナイターの実況を担当。ドラゴンズの高橋周平がタイガースのロベルト・スアレスから打ったサヨナラホームランで幕を閉じた 場面で言葉が出ず、「フェアか、ファールか」を連呼し続けた。その後1週間は言葉がでなかった実況を忘れることができず、自身の次の実況においてリベンジを果たそうと口癖を封印し、ネタを準備していた。2020年10月22日のドラゴンズ対横浜DeNAベイスターズ戦でリベンジを果たした。事前に用意したネタは、ベイスターズのネフタリ・ソトが打ったファールポール際の飛球に対し、コメディアンのポール牧を連想させる「ポール脇」であった。同日の野球中継後の番組であるドラ魂ナイトにおいて、自らのダジャレのセンスを「私のリベンジのこのダサさ」「最低です」と発言した。
※この「バラエティ中心からスポーツ中心へ」の解説は、「若狭敬一」の解説の一部です。
「バラエティ中心からスポーツ中心へ」を含む「若狭敬一」の記事については、「若狭敬一」の概要を参照ください。
- バラエティ中心からスポーツ中心へのページへのリンク