バブル経済後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:27 UTC 版)
バブル景気崩壊後は、富士の巨額不良債権問題と公的資金注入および芙蓉懇談会メンバーであった主幹事証券の山一證券の自主廃業、それに連動し富士と安田信託銀行の株式の売り浴びせなど、芙蓉グループに所属する企業は時代の荒波をもろにかぶった。 大倉商事倒産の際には、富士、丸紅、大成建設のトップが集まり、富士が丸紅に大倉商事の全面救済を依願したが丸紅は拒否。また日本鋼管が大倉商事との取引を一時ストップしたことが危機説に拍車をかけたとも謂われた。さらに昭和海運の債務超過による日本郵船への吸収合併の際には富士は冷淡なスタンスに終始した。加えて、日産自動車が経営危機に陥り、ルノーと業務提携を結び同社からカルロス・ゴーンをCOOと招き、リストラを断行した際には、富士は経営計画の策定に関与できなかった。このほか、安田財閥の系譜を引く東邦レーヨンは1960年代に業績不振に陥り、富士の主導で日清紡績傘下に収まったが、1999年10月に帝人が炭素繊維部門の強化を狙い買収。子会社化した。これを機に東邦レーヨンは芙蓉会を脱退した。これら以外にも商社冬の時代による丸紅の経営不振、飛島建設の不良資産なども持ち上がった。 一番の転機は、富士が2000年9月に第一勧業銀行、日本興業銀行とともに設立した持株会社みずほホールディングス(現:みずほフィナンシャルグループ)のもとで経営統合、みずほFGが発足した事が挙げられる。これに伴い、富士は前年秋に芙蓉会の幹事を退き、幹事は丸紅、安田生命、安田火災の3交代制に移行。富士(みずほ銀行)は芙蓉会の一加盟社となった。さらに2000年9月には事務局を丸紅に移した。この後、安田火災は2002年に日産火災と合併し損害保険ジャパンとなり、2010年に損害保険ジャパンは日本興亜損害保険と経営統合。2014年に両社は合併し損害保険ジャパン日本興亜となった。また2004年1月に安田生命も三菱グループの明治生命保険と合併し、明治安田生命保険となった。 2017年現在、芙蓉会はトップの懇親会として26社が加盟し、丸紅、みずほFG、みずほ信託銀行が幹事社を担うが、芙蓉グループとしての活動はほとんど行っておらず、グループとしての活動は64社が加盟する(2017年11月現在)芙蓉懇談会を中心に地道に展開している。
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