ハンセン病によるスティグマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/06 02:25 UTC 版)
「スティグマ (ハンセン病)」の記事における「ハンセン病によるスティグマ」の解説
スティグマは多くの状態があり、社会学的にも一つの研究課題である。ここではハンセン病患者に関係するスティグマを記載する。英語でいえば、leprosy stigma, stigma of leprosy, stigma associated with leprosy, leprostigmaなどの単語があるが、ここではleprosy stigmaの記述が一般的である。ウイリアム・ジョップリングはleprosy stigmaという題で総説を書いたが、この言葉とは別の、この状態は昔からあり、彼はゴッフマンの上述の定義に基づき、ハンセン病患者はスティグマを受けている記述した。即ち、第一に顔面などの変形があることがスティグマを受ける理由とされる。 ハンセン病患者がスティグマを受けた歴史はハンセン病の歴史上最古に遡る。 中世の人々はハンセン病の病態を悪魔的な現象と関連付けて恐れた。一方、『新約聖書』の一節である「貧しきラザロ」(ルカ16:19-31)になぞらえ、地上ですでに罪を償い天国に行くことが確かな人、というイメージも持たれていた。 ドイツでは、16世紀には外科医ヨハン・フォン・ゲルスドルフが書いた『軍医のための外科教本』に見られるように、ハンセン病の病理を患者の道徳性や性格に求める議論が起こり、ハンセン病の疑いがある者を社会から隔離する仕組みが作られた。被疑者は教会によって社会的な死を意味する葬礼を模した儀式を受け、専用の施設に入れられた。施療院には様々なタイプがあったが、患者は職業活動を制限されていたため、総じて物乞いをするのに好都合な場所に作られた。患者は一目でそれとわかる専用の服を着せられ、歩くときは鐘や鈴、ガラガラを鳴らして注意を促すようにしなくてはならなかった。 17世紀の中央ヨーロッパではハンセン病自体も衰退傾向になったために、一般社会ではハンセン病が重要な病気と見なされなくなった。社会全体の貧困層が増大したため、隔離施設に入ることができた患者はそれなりの福祉が得られたが、入れなかった患者は物乞いをして移動する浮浪者の中でも最も悲惨なグループとなった。
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