ハイテクの拡がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 14:58 UTC 版)
「カリフォルニア州の歴史」の記事における「ハイテクの拡がり」の解説
1950年代から北部カリフォルニアのハイテク企業が目を瞠る成長を遂げ、20世紀の終わりまで続いた。主要な製品としては、パーソナルコンピュータ、ビデオゲーム、およびネットワーク・システムがあった。これら企業の大部分はパロアルトからサンノゼに伸びる幹線道路沿いに立地し、サンタクララ・バレーのサンタクララやサニーベイルなどに集まっていたため、それらの地域は当時大規模集積回路 (IC)を作るために使われた材料の名前に因んで、いわゆる「シリコンバレー」と名付けられた。こうした産業の成長はいわゆる「2000年問題」を抱えた2000年にピークを迎え、同年までに熟練した工学専門家に対する需要が著しく高くなったので、ハイテク企業はその求める役職を埋めるのが困難になり、それゆえに海外の人材を採用するためにビザの割り当てを増やすよう要求した。しかし2001年に入ると、ドットコム・バブルの崩壊が起こり、多くの人々が一夜にして仕事を失うこととなった。これに続く2年間は、初めて地域に入ってくる者よりも出て行く者の方が多いという現象が見られた。このことは、20年ほど前の南カリフォルニアにおける宇宙産業の崩壊に幾分似ていた。 2004年までに、切望されるハイテクの仕事の多くは、労務費がアメリカの10%であるインドに外注されたり、インドや中国の何十億人の中から新参の者を雇って内作するかのどちらかになったように見える。特に北アメリカ自由貿易協定(NAFTA)採用後は、新しい法律でビザの制約を無くした。1960年以降第三世界から数千万人の人々が合衆国に入り、最初は主にカリフォルニアや南西部に入ったが、今や大陸全体に拡がっている。1960年(出生率が置換率と均しくなった時)の合衆国の人口は1億8千万人だったが、2000年時点では2億8千万人になっている。
※この「ハイテクの拡がり」の解説は、「カリフォルニア州の歴史」の解説の一部です。
「ハイテクの拡がり」を含む「カリフォルニア州の歴史」の記事については、「カリフォルニア州の歴史」の概要を参照ください。
- ハイテクの拡がりのページへのリンク