ネーヴスミア競馬場の創始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:24 UTC 版)
「ヨーク競馬場」の記事における「ネーヴスミア競馬場の創始」の解説
これらの競馬はヨークの町の北側のウーズ川周辺の土地で行われていた。時期や事情は様々な異説があって定まらないが、1731年に町の南側のネーヴスミアで競馬が行われた、ということははっきりしている。1730年以前にもネーヴスミアで競馬が行われていたとか、従前の開催地は地主と揉めて開催できなくなったとか、1730年のウーズ川の氾濫で以前の場所が使えなくなったとか、当時の文献も情報が錯綜しており、正確な事情はわかっていない。いずれにせよ、1731年を境に町の北側の競馬は行われなくなり、いまのヨーク競馬場があるネーヴスミアで競馬が行われることになった。 ネーヴスミアはヨークの南側のウーズ側沿いに広がる湿地だった。古代にはこのあたりまで海とつながった水域か低湿地帯だったともされている。「Knavesmire」は「knaves」+「mire」=「貧しい牛飼いが牛を放牧する湿地」というような語源をもつとされている。かつてヨークとロンドンを結ぶ街道があり、その街道はこのネーヴスミアを通っていた。ヨークで罪を犯して逃げようとしても、この沼地でもたもたしている間に捕まってしまう場所で、中世から罪人の公開処刑や磔刑が行われる場所だったとされている。 ネーヴスミア競馬の開催初日は1731年8月16日である。ヨーク競馬はこの時以来ずっと8月がメイン開催だが、それはヨーク州の巡回裁判がヨークでは8月に行われるからである。裁判で死刑になった罪人が引き出され、最初にレースの前に絞首刑が見世物として行われる。これは多くの競馬場で19世紀まで行われていた慣習で、観客を惹きつける重要なイベントのひとつだった。絞首刑の場所は今の2マイルコースのスタート地点にあり、「3本脚の牝馬」と呼ばれる3本の立木に板を渡して作った台のうえで行われていた。巡回判事、町の名士、そして大観衆の前で3人の強盗犯の絞首刑が行われ、それが済むと「キングスプレート」競走がスタートするのだった。 ヨーク競馬場で公開処刑された罪人のなかで一番有名なのがディック・ターピンである。ターピンはロンドンとヨークを結ぶ街道を荒らしまわり、10年近くにわたってあちこちで殺人、強盗、馬泥棒を繰り返していた犯罪者である。ターピンの公開処刑は1739年に行われた。ターピンは数々の小説、戯曲、絵画の題材になった。競馬場での絞首刑は1801年まで続いたが、それ以降は刑場が別の場所になったために競馬場では行われなくなった。(詳細はen:Dick Turpin参照。)
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