ヌーヴォー・レアリスム解体後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 09:20 UTC 版)
「アルマン (美術家)」の記事における「ヌーヴォー・レアリスム解体後」の解説
アルマンはヌーヴォー・レアリスム解体後も集積の作品を続け、アメリカに移ってからは新品も集積彫刻に使うようになった。また楽器や工具、電話機など同一種類の大量のオブジェを、平面に貼り付けずブロンズなどで固めた立体作品や、ルノー社との『工業と芸術』の協定によって自動車工場の廃物や部品を利用して作った作品、1982年にはパリ郊外のモンセル現代美術センターに設置した高さ18mのコンクリートの塔の中に60台の車を埋め込んだ彫刻、『長期間駐車』を制作している。1995年にはレバノン政府の依頼で、内戦で破壊されたベイルート市街に、83台の戦車や軍用車両を積み重ねた高さ32mの彫刻、『平和への希望』を制作した。 特に楽器を多く集積した理由は、チェロ奏者だった父の影響、キュビズムからの影響、その形態への興味などが合わさっている。 その他、アメリカの日常的なリビングを画廊内に再現して、これを公開破壊するハプニングや、破壊・焼却した家具をリビングと同じように配置するインスタレーションをおこなった。 1968年にはヴェネツィア・ビエンナーレとドクメンタに同時出展した。1973年にアメリカ合衆国国籍を取得し、アルマン・ピエール・アルマンとなった。1993年にはレジオンドヌール勲章を受章している。2002年にがんである事が判明したが、家族の支えによって台湾や上海などに大規模なパブリック・アート作品を制作し、新しい「ポリクローム彫刻」を手がけた。2005年、ニューヨークの自宅で没した。
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