ニューヨーク電化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 21:32 UTC 版)
現在の北東回廊をなしている区間で蒸気鉄道として運行されていた路線を電化するプロジェクトは、1896年にボルチモア・アンド・オハイオ鉄道のボルチモア・ベルト線 (Baltimore Belt Line) および、ニューヨークのグランド・セントラル駅へのニューヨーク・セントラル鉄道の区間の一部としての、ニューヨーク・アンド・ハーレム鉄道 (New York and Harlem Railroad) のパーク・アベニュートンネル (Park Avenue Tunnel) の区間から始められた。後者は、ニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道も線路使用権を持っている区間であった。世界で初めての電化された都市鉄道ターミナルとして1900年にパリのオルセー駅が開業して、電気鉄道という新技術が実用可能なものとなり、ニューヨーク・セントラル鉄道はグランド・セントラル駅とモット・ヘイブン (Mott Haven) の分岐点の間の電化を検討し始めた。電気鉄道は既にニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道のいくつかの支線において運行されていたが、それは第三軌条方式または架空電車線方式のインターアーバンであった。 当時使用されていた蒸気機関車の排気による大気汚染で視界が悪化して発生した、1902年1月8日の死者17人の事故により公衆からの非難を受けて、マンハッタンにおける電気鉄道運転への後押しがされることになった。ニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道は1905年にニューヨークからスタンフォードまでの本線を電化すると発表した。1912年に開業した新しいグランド・セントラル駅の建設と並行して、ニューヨーク・セントラル鉄道は路線の電化を進め、ハドソン線 (Hudson Line) のハイブリッジ (Highbridge) までの電車の運転を1906年12月11日に開始した。グランド・セントラル駅まで1907年2月13日から電気機関車が乗り入れを開始し、ニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道のマンハッタン乗り入れ旅客列車がすべて電気運転となった後、1908年6月30日からグランド・セントラル駅へ乗り入れるニューヨーク・セントラル鉄道のすべての旅客列車が電気運転となった。1914年6月22日にニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道の電化はニューヘイブンまで延びたが、長年の間電化はここまでであった。 同時期に、ペンシルバニア鉄道はニューヨークのペンシルベニア駅と、そこへの電化された乗り入れ路線を建設していた。ペンシルベニア駅に乗り入れるのは、ニュージャージー州におけるペンシルバニア鉄道の路線と、ロングアイランド鉄道であった。ロングアイランド鉄道の電気運転は、1905年にブルックリンからジャマイカ (Jamaica) までのアトランティック支線 (Atlantic Branch) から始まり、1910年6月にはペンシルベニア駅までの本線としてロングアイランドシティ (Long Island City) への路線でも始まった。ペンシルベニア駅は1910年9月8日にロングアイランド鉄道向けの営業が始まり、11月27日にはペンシルバニア鉄道向けの営業も始まった。ペンシルベニア駅へ乗り入れるペンシルバニア鉄道の列車は、マンハッタン・トランスファー駅 (Manhattan Transfer) において蒸気機関車から電気機関車に機関車の交換を行い、またここで列車同士の乗換もできるようになっていた。 1911年7月29日にはニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道は、後にニューヨーク・コネクティング鉄道とそのヘルゲート橋が完成することによって本線となった、ハーレム・リバー支線 (Harlem River Branch) という郊外の支線を電化した。ヘルゲート橋は1917年4月1日に開通したが、1918年まで蒸気機関車牽引で運転され、ペンシルベニア駅の東側にあるサニーサイド・ヤード (Sunnyside Yard) で機関車交換をしていた。
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