ナポレオン戦争とフランスによる統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 03:01 UTC 版)
「モンツァ」の記事における「ナポレオン戦争とフランスによる統治」の解説
ナポレオン・ボナパルトによるイタリア戦役後のカンポ・フォルミオ条約(1797年)によりミラノ公国はオーストリアからフランスに割譲され、フランス共和国の姉妹共和国であるチザルピーナ共和国が建国された。なお、この国は1802年にイタリア共和国に移行する。 フランス人によって王宮は貴族の象徴として厭われ、破壊のために売却された。しかし、市民の抗議によって解体は阻止された。モンツァ大聖堂が所有していた金銀の宝物の2/3は、軍事費をまかなうためミラノの造幣局に送られて溶かされ、貨幣に変えられた。また大聖堂の宝物やカピトラーレ図書館 (it:Biblioteca Capitolare (Monza)) の図書も、ナポレオンによってパリの国立図書館に移された。一方、鉄王冠は仮の措置としてモンツァに残された。 1805年、イタリア共和国はミラノを首都とするイタリア王国となった。1805年5月26日、ナポレオンは鉄王冠をミラノに運び、ミラノのドゥオーモにおいてイタリア王ナポレオーネとして戴冠した。モンツァには皇帝の都市(città imperiale)という称号が与えられた。ナポレオンの養子であるウジェーヌ・ド・ボアルネは、1805年8月にイタリアの総督に任命され、モンツァの王宮を住まいとしてヴィッラ・レアーレ(Villa Reale、「王のヴィラ」)呼び、復元と改修を行った。1807年、モンツァ公園が建設されるが、この時にモンツァ城は破却され、その石材は公園の塀となった。
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