ナポレオン戦争と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 01:22 UTC 版)
「デンマーク領インド」の記事における「ナポレオン戦争と衰退」の解説
ナポレオン戦争中、デンマーク=ノルウェーは、オランダ領東インドからコペンハーゲンへとフランスとオランダの商品を運びながら、武装中立にあった。このため、英国は2度(1801年と1807年)のコペンハーゲン襲撃でデンマーク=ノルウェー艦隊を破壊し、デンマーク東インド会社のインド貿易を荒廃させ、1801年から1802年までと1808年から1815年まで、ダンスボーとフレデリクスナゴアを占領した英国戦争(英語版)につながった。 デンマーク=ノルウェーの植民地は衰退し、イギリスは最終的にそれらを所有し、イギリス領インドの一部になった。1839年にセランポールがイギリスに売却され、1845年にトランケバルとほとんどの小規模な入植地が売却された(1845年10月11日フレデリクスナゴアが売却。1845年11月7日に他のインド本土のデンマーク領インドの入植地が売却された)。 イタリアは、1864年から1868年の間にデンマーク=ノルウェーからニコバル諸島を購入しようとした。イタリアの農商大臣ルイージ・トレッリは、有望に見える交渉を開始したが、彼の任期が最初のラ・マルモラ内閣の予期せぬ終了のために失敗した。交渉は中断され、再開されなかった。 1868年10月16日、1848年以降徐々に放棄されていたニコバル諸島に対するすべてのデンマークの権利が英国に売却された。
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