ナポレオン戦争中の喪失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:43 UTC 版)
「スウェーデン領ポメラニア」の記事における「ナポレオン戦争中の喪失」の解説
スウェーデンが初めてナポレオンと戦い、敗れることになった(英語版)1805年の第三次対仏大同盟への参加は、1807年から1810年にかけてフランス軍によるスウェーデン領ポメラニアの占領に繋がった。1810年にパリ条約が調印に至ると、この領域はスウェーデンに返還される。1812年にフランス軍が再びポメラニアへ進軍すると、スウェーデン軍はナポレオンに抗して動員をかけ、1813年のライプツィヒの戦いでロシア軍、プロイセン軍とオーストリア軍を支援した。またスウェーデンはデンマークにも侵攻し、1814年のキール条約によってノルウェーと引き換えにポメラニアをデンマークに割譲する。 スウェーデン領ポメラニアの命運はウィーン会議の間に、1815年6月4日にプロイセンとデンマーク、そして6月7日にプロイセンとスウェーデンが結んだ条約によって決した。この方策によってプロイセンはわずか十四年前にハノーファー領であり、東フリースラント(英語版)と交換したばかりのザクセン=ラウエンブルクをデンマークに譲り、引き換えにスウェーデン領ポメラニアを獲得したのである。続いて東フリースラントは、再びハノーファーに割譲された。また、デンマークはプロイセンから二百六十万ターラーを受け取った。戦災を被ったスウェーデンには三百五十万ターラーが贈られる。「スウェーデン領ポメラニア」は「ノイフォアポンメルン」(Neuvorpommern)としてプロイセンのポンメルン州(英語版)に併合された。
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