ドーピングの法的問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 03:12 UTC 版)
覚醒剤などの違法薬物の使用や、医師等の処方が必要な管理薬物の不正入手などによる場合は当然違法であり、薬物の種類によっては単純な所持だけでも厳罰になることもある。一般に医師などにより処方された薬物を自分自身に投与することは、たとえそれが本来の目的外の使用であり、結果として健康に良くない行為であったとしても個人の自由の範疇にある限り、違法性を問うことは難しい(愚行権)。 現実には、プロスポーツやオリンピックなどの公的大会では、選手が自己の意思により正当な手続きを経たものであったとしても、ドーピングはその行為をもって大会参加や入賞資格の剥奪理由とされ、あるいは解雇の対象とされる。この場合、他者危害の原則(他人に危害を加えない限り自己のことは自己で決定する権利を持つ)を逸脱した(かのように見える)ドーピング規制が現実の財産権の侵害(解雇など)や名誉の毀損(タイトル剥奪など)をもたらすことになり、ドーピング規制の倫理的・法的根拠が問題となる。 倫理学者の加藤尚武は、3つの面からドーピング規制を説明する。 競技ルールの点で、ドーピング自身は自己危害の範疇であり、その使用が法律上禁止されていなくても、スポーツのルールとして禁止することを妨げるものではない。 選手の健康を現実に損なうことである。 ドーピングは社会悪であり、個人の自由と権利を損なうことである。勝利と名誉のために副作用を受けても良いという選手がいたとしても、それは近代社会が保障しようとする自由や権利を逸脱している。ドーピングしないで真面目に練習に励み、競技に挑んでいる他の選手の正当な自由と権利を踏みにじり、規則を破ってまで求めようとする身勝手な「自由」と「権利」は受け入れられるものではなく、否定し排除されるべきものである。特に第三点については「みなドーピングを使えば良い」「ドーピング使用者と不使用者を区別すればよい」というドーピング容認論がありえるとし、そのうえで第一・第二の危険性を考慮したうえでも「使ったもの勝ち」の不公平が重大であり「正直者が損をする」ことがないように倫理命法として「ドーピングの禁止を徹底することによって正直者が損をする不公正を防ぐべきだ」は正当性をもつとする。
※この「ドーピングの法的問題」の解説は、「ドーピング」の解説の一部です。
「ドーピングの法的問題」を含む「ドーピング」の記事については、「ドーピング」の概要を参照ください。
- ドーピングの法的問題のページへのリンク