デビューそしてR&Bの女王へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:25 UTC 版)
「ルース・ブラウン」の記事における「デビューそしてR&Bの女王へ」の解説
別なバンドを率いていたブランシュ・キャロウェイとキャブ・キャロウェイの姉弟は、クビになったルースを誘いワシントンのナイトクラブ、クリスタル・キャバーンズ (Crystal Caverns)でのギグを行った。そこで彼女の才能に確信を持った姉弟はルースのマネージャーについた。また、当地のディスクジョッキーだったウィリス・コノバーも彼女の唱歌力を評価し、アトランティック・レコードの創始者であるアーメット・アーティガンとハーブ・エイブラムソンに紹介した。ところが、交通事故で重傷を負い9ヶ月の入院生活を余儀なくされたルースは、一度は予定されたオーディションをあきらめざるを得なかった。しかし、1948年にアーティガンとエイブラムソンはわざわざニューヨークから自動車でワシントンに出向き、ナイトクラブで歌う彼女の歌を聴いて契約を決めた。ルースの歌う曲はたいてい大衆的なバラッドが中心だったが、アーティガンはR&Bへの転向を説得した。ただし、彼女本来の資質を損なわないように、アーティガンは彼女に用意した曲にはブルース的な脚色を抑制しポップさを充分に残しつつ新鮮で洗練されたアレンジを施した。 1949年、「So Long」でデビュー。ヒットとなり、1950年にリリースしたルディ・トゥームズ作曲の「Teardrops from My Eyes」もこれに続いた。この陽気な調子をもつ曲は、ビルボード誌のR&Bヒットチャートの1位を11週連続で占め、R&B歌手としてのルース地位を確立したものとなった。彼女には「ミス・リズム」のニックネームが使われるようになり、またR&Bの女王としても知られることとなり、「R&B」とは「Rhythm and Blues」ではなく「Ruth Brown」を略しているとまで言われた。 ルースのヒット曲は、「I'll Wait for You」「I Know」(1951年)、「5-10-15 Hours」「ママ、あの人ったらひどいのよ」((Mama) He Treats Your Daughter Mean)(1953年)、「Oh What a Dream」「Mambo Baby」(1954年)、「Don't Deceive Me」(1960年)と続いた。また「Little Miss Rhythm」「The girl with the teardrop in her voice」も彼女の代表曲として知られている。彼女のレコードは、1949年から1955年にかけてR&Bレコードチャート・トップ10に149週間にわたりチャートインするほどヒットした。その16曲のうち5曲は1位を記録した。彼女はアトランティック・レコードの看板歌手として活躍し、社のビルは「ルース御殿」とまで呼ばれる程だった。
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