デビューと「詩人」の大ヒット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:51 UTC 版)
「フィービ・スノウ」の記事における「デビューと「詩人」の大ヒット」の解説
1972年、ビターエンドクラブでシェルター・レコードのプロモーション担当重役デニー・コーデルに見出されたスノウは、契約後に初めてのレコーディングを行ない、1974年にアルバム『サンフランシスコ・ベイ・ブルース (Phoebe Snow)』をリリースした。ゲストにザ・パースエイジョンズ、ズート・シムズ、テディ・ウィルソン、デビッド・ブロムバーグ、デイブ・メイソンを迎えたこのアルバムは、アメリカ国内で100万枚以上を売り上げ、当時最も評価されたレコードと言われた。『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』はビルボードアルバムチャート・トップ5アルバムにランクインしたのに加え、シングル「詩人 (Poetry Man)」がビルボードホット100のトップ5シングルにランクインした。このアルバムでスノウは、グラミー賞の最優秀新人賞にノミネートされ、有名歌手・作曲家の仲間入りを果たした。1975年のヒットシングル「哀しみにさようなら (Gone at Last)」でも共演したポール・サイモンや、ジャクソン・ブラウンとのツアーに同行して前座を務めたスノウは、雑誌『ローリング・ストーン』の表紙にも登場した。人気番組『サタデー・ナイト・ライブ』への出演では、ソロおよびポール・サイモン、リンダ・ロンシュタットとのデュエットを披露した。 ポール・サイモンのヒット曲「恋人と別れる50の方法」には、ヴァレリー・シンプソン、パティ・オースティンとともにバッキング・ボーカルとして参加した。この曲と「哀しみにさようなら」はともに、サイモンの1975年グラミー賞受賞アルバム『時の流れに』に収録されている。
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