デビューから頂点へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 15:56 UTC 版)
「ハビタット (競走馬)」の記事における「デビューから頂点へ」の解説
3歳になった1969年、リボフィリオが各国のクラシック競走に登録されるなか、ハビタットは4月のサンダウンパーク競馬場で行われたロイヤルステークス(10ハロン・約2012メートル)でデビュー戦を行ったが、結果は最下位であった。 それから2週間後のウインザー競馬場で行われた同距離の競走に出走、ゴール前まで勝利目前であったが、そこでアブソーブドという馬にわずかに追い抜かれて2着に終わった。後の5月23日、ヘイドックパーク競馬場での下級条件戦(1マイル・約1609メートル)において初めて1着でゴール、5馬身差の楽勝で初勝利を挙げた。 1ヶ月で3戦というペースでの出走が続いたが、ハビタット自身に疲れの色は見られなかったため、ハビタットの陣営は初勝利からわずか8日後のロッキンジステークスへの出走登録を行った。この年、イギリス競馬におけるマイル競走の最高峰であった同競走には、前年の2000ギニーステークス3着馬ジミーレッピン、同年の2000ギニーステークス2着馬タワーウォーク、そしてエクリプスステークス優勝馬ウォルヴァーホロウなどといった強豪馬が登録していた。ハビタットは単勝21倍と穴馬扱いされるなか、これらの面子を相手にしながら1着でゴール、2着ジミーレッピンを1馬身半離して優勝を飾った。ハビタットが他の強豪馬よりも軽い斤量を背負っていたことも勝因ではあったが、その実力は大いに評価され、その年の3歳馬のなかでもトップクラスのマイラーとして位置づけられた。 2週間後に行われた翌戦のセントジェームズパレスステークスでは2着に敗れたが、定量戦であったことと、対戦相手が英愛2000ギニー勝ち馬であるライトタックであったことから、その評価が下がることはなかった。この競走の後、約2か月の休養に入った。
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