ディズニー社のトレスマシン
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「トレスマシン」の記事における「ディズニー社のトレスマシン」の解説
ディズニー社は1959年公開の『眠れる森の美女』の制作に6年の歳月と600万ドルと言う莫大なコストを費やして赤字となったことから、今後のアニメ制作の為に省力化を模索していた。当時既にゼロックス社のコピー機・ゼログラフィーが存在したが、これは紙にコピーすることしかできなかった。そのため、セル画に線をトレスできる機械を、ディズニー社のアニメーターであるアブ・アイワークスがゼロックス社と共同開発した。これがアニメ業界で通称「ゼロックス」と呼ばれる機械である。 トレスマシンが採用された史上初の作品が1960年公開の『豆象武勇伝』である。1961年公開の『101匹わんちゃん』ではトレスマシンが全面的に取り入れられ、大幅な省力化とコストダウンがなされた。ハンドトレスの線よりもあからさまに線が雑になったので、ウォルト・ディズニーは嫌がったが、99匹のダルメシアンをインクとペンを使ってセル画にハンドトレスするコストを考えると、受け入れざるを得なかった。『101匹わんちゃん』は大ヒットし、ディズニーはこれ以降、ハンドトレスに代わってマシントレスの線画を使用する、通称「ゼロックス時代(Xerox Era)」と呼ばれる時代に突入する。 初期のゼロックスはモノクロの線しか使えなかったが、ディズニーは1977年公開の『ビアンカの大冒険』でミディアムグレーの色トナーを開発し、ゼロックスで色トレス線が使えるようになった。 1970年代から1980年代にかけて、ディズニー社の業績は下降する。そのため、ディズニー社のマイケル・アイズナーCEOは、ディズニーのアニメをデジタル化することで立て直しを図る。1990年公開の『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』でピクサー社が開発したデジタルアニメ制作ソフトである「CAPS」を導入し、ゼロックスを廃止してデジタル作画となった。従って1989年公開の『リトル・マーメイド』が、ゼロックスの使われた最後のディズニー作品である。『リトル・マーメイド』は、旧来のアナログのアニメでありながら大ヒットし、従って『リトル・マーメイド』は「ディズニーゼロックス時代」最後の作品であるとともに、「ディズニー第2次黄金時代(ディズニー・ルネサンス)」の最初の作品とも位置付けられる。 ディズニーはその後しばらく、手描きの動画をスキャンしてデジタル化していたが、アメリカの大手アニメ会社が続々とフルデジタル化する中、ディズニー社も2004年公開の『ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』をもって手描きの廃止を宣言し、2Dスタジオを閉鎖し、2006年にピクサーを買収する。ピクサーの買収によってディズニーのCCOを兼任することになったピクサーCCOのジョン・ラセターは手描きに好意的で、手描きアニメを復活させたが、最終的に2011年公開の『クマのプーさん』を最後に手描きを廃止し、以降はフルCGとなった。
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