テレサ・テンと中華人民共和国とは? わかりやすく解説

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テレサ・テンと中華人民共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:03 UTC 版)

テレサ・テン」の記事における「テレサ・テンと中華人民共和国」の解説

テレサ・テンの歌は、1974年頃から音楽テープによって、表現の自由だけでなく、諸外国音楽流入制限されていた中華人民共和国入り始めた。 彼女が歌う「何日君再来」は、1980年代初頭日中戦争中の抗日歌として解釈され中国大陸爆発的にブームとなった中華民国は、中国大陸隣接する金門島から彼女の歌声を敵対関係にある中華人民共和国統治区域向けて大音量で大陸向けて流したり、音楽テープ付けた風船大陸向けて飛ばしたりすることで、中華人民共和国における反中国共産党政府感情駆り立てる宣伝道具として彼女の歌利用した。そのため中国共産党当局は、彼女の歌不健全な黄色歌曲」(ピンク歌曲)と位置づけ音楽テープ販売・所持等を禁止する措置取り、これは1983年末まで続けられた。中華人民共和国で彼女の歌禁止されていた時期でも実際に海賊版音楽テープなどがかなり流布しており、それらを通して女の歌声を聞いていた人も多かった1987年に両政府の関係改善おこなわれ台湾商品大陸販売できるようになったことから、オリジナル音楽テープが入るようになった1989年6月4日発生した中国共産党政権による反政府活動弾圧虐殺事件である天安門事件の際には、香港行われた民主化デモ弾圧対す抗議集会参加民衆の前で歌を披露し、自ら中華人民共和国民主化実現訴えた中国共産党政府による一党独裁否定したテレサは、イギリスから中華人民共和国返還譲渡されることが決まっていた香港発ちフランスパリへ移住した生前、彼女は中華人民共和国でのコンサート熱望していたものの、天安門事件中国共産党政府失望し実際にそれが実現することはなかった。 以上の行動から、テレサ・テンを「中華民国台湾)の広告塔」ととらえる見方もあったが、中華人民共和国での彼女の人気の高さを物語エピソードとして、当時中華人民共和国国民の間で「昼は老鄧(鄧小平)のいうことを聞き、夜は小鄧(鄧麗君テレサ・テン)を聴く」、「中華人民共和国二人の鄧(鄧小平鄧麗君)に支配されている」といったようなジョーク流行っていたことなどを挙げることができる。 2009年中華人民共和国建国60周年迎えにあたり中共国務院報道主催の「中国ネット」は7月24日から8月31日までの間、「新中国で最も影響力のある文化人物」のネット選出行った192人の候補者から、彼女が854票の獲得で、第一位ランクインし、2400万人投票者の35.7%を占めた

※この「テレサ・テンと中華人民共和国」の解説は、「テレサ・テン」の解説の一部です。
「テレサ・テンと中華人民共和国」を含む「テレサ・テン」の記事については、「テレサ・テン」の概要を参照ください。

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