テレサ・テン以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 09:56 UTC 版)
1980年、中華人民共和国で鄧麗君が唄った「何日君再來」が爆発的なヒットをした後、1982年–1984年に中国共産党政府当局が「反精神汚染」および「反ブルジョア自由化」運動を発動し、本作はふたたび糾弾を受けることとなった。そして"「猥褻な歌曲で、半封建、半植民地の奇形的産物"である黄色歌曲とされて、この歌は文化省から追放の処分となり、一時期は輸入・販売・放送などが一切禁止された。 しかし『黄色歌曲』に該当するというのは “表向きの理由” で、実際は国民生活が豊かになった敵国の中華民国から流れてくる歌を、中国共産党の圧政下で喘ぐ中国本土人民に触れさせないことが真の目的であったとされる。また唄う側の鄧麗君も「何日君再來」を中国共産党崩壊と、中国の民主的統一実現を想起し唄っていたといわれる。鄧麗君は生前パリで天安門事件に対する反対集会にも参加し、亡命した民主化活動家とも交流を持つなどしており、中国の民主化を終生願っていた。
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