テアトル・オプティーク
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テアトル・オプティーク(フランス語: Théâtre Optique、光学劇場または光の劇場という意味[1])は、1888年にフランスのシャルル・エミール・レイノーが開発した映画誕生以前の動画装置である。パーフォレーションが付いた長い帯に連続的な動きを描いた絵をスクリーン上に投影することで動画を創出する装置で、アニメーションの先駆けと考えられている。テアトル・オプティークの一般興行は、1892年10月からパリのグレヴァン蝋人形館で「光によるパントマイム」と称して行われたが、19世紀末に誕生した映画の隆盛によりテアトル・オプティークは衰退し、1900年に興行は終了した。
注釈
出典
- ^ a b c d e 世界映画大事典 2008, p. 542.
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- ^ “Pauvre Pierrot”. Émile Reynaud. 2021年6月23日閲覧。
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- ^ “Un Rêve au coin du feu”. Émile Reynaud. 2021年6月23日閲覧。
- 1 テアトル・オプティークとは
- 2 テアトル・オプティークの概要
- 3 興行
- 4 その後
- 5 テアトル・オプティークの意義
- 6 作品一覧
- 7 脚注
テアトル・オプティーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 21:25 UTC 版)
「アニメーションの歴史」の記事における「テアトル・オプティーク」の解説
レイノーは投影用プラキシノスコープを、2つのスプールの間の長い帯状の傷に透明な絵を描いたテアトル・オプティーク(Théâtre Optique)に改良し、1888年12月に特許を取得した。これは細長いフィルムを用い、かつフィルムにパーフォレーション(送り穴)がつけられていたという点で後の映画フィルムと近く、少しづつ異なる絵を連続的に映写することで動画を映し出す仕組みは映画・アニメーションの概念に一段と近づいた。1892年10月28日にパリで「光のパントマイム」(Pantomimes Lumineuses)として開かれたショーには、哀れなピエロ(Pauvre Pierrot)、一杯のビール(Un bon bock)、道化師と犬( Le Clown et ses chiens)の3つの作品が含まれていた。レイノーはプロジェクション操作係として活動し、ショーはピアノを伴った。1895年にルミエール兄弟によって示された映画はそれを覆したが、1900年までグレヴァン美術館(Grévin Musée)で興行され、50万人以上が観覧した。テアトル・オプティークがアニメーションの直接的な祖先であるという見方が一般的である。
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