チュニジアに移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 02:27 UTC 版)
「ヘレナ・スパロウ」の記事における「チュニジアに移住」の解説
1933年、シャルル・ニコルが所長を務めるチュニジアパスツール研究所に赴任し、主任となる。同年、フランスの市民権を獲得。スパロウはそこで過去に学んだルドルフ・ヴァイグルの開発した手法の導入を行った。この手法にはシラミの実験室培養が必要で、スパロウの専門知識はチュニスのパスツール研究所でのチフス研究を大きく加速した。スパロウの専門知識には、ワクチン開発、殺虫剤の使用法、チフスとチフスに似た症状を起こす他の細菌との分離技術などが含まれていた。 1933年10月、農学者のフィリップ・ジェルマと結婚。以後はH・スパロウ・ジェルマ名義でも論文を投稿している。 1935年からは腸チフスワクチン開発の基礎としてマウスウイルスに取り組み、1940年にポール・デュランと共にDurand-Sparrow抗腸チフスワクチンを開発した。またスパロウは、ロッキー山紅斑熱ワクチン開発を目指して、紅斑熱の病原体培養を進めた。 1949年からは結核に対するBCGワクチンの推進責任者を務めた。1955年からは世界保健機関の要請でエチオピアにて回帰熱の研究を担当した。 1956年、チュニスはフランスから独立した。スパロウは夫のジェルマと共にコルシカ島に移り住み、1970年にコルシカ島で亡くなった。
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