チュニジア、1942-43年
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「グミエ」の記事における「チュニジア、1942-43年」の解説
第1GSMは1942年からチュニジア戦線に投入され、1943年1月には第2GSMが合流した。チュニジアの戦いの後、自由フランス軍はさらに2つの部隊群を追加し、名称はモロッコタボール群(Groupe de Tabors Marocains - G.T.M.)に改称された。各群は1個指揮グム(中隊)、3個タボール(大隊)からなり、1個タボールは3個グムで構成された。1個タボールには4門の81mm迫撃砲と891名の兵士が配備された。1個歩兵グムは210名の兵士で構成され、1門の60mm迫撃砲、2挺の軽機関銃、および7挺の自動小銃が配備された。 第14タボールは群から切り離されて戦争の残りの期間をモロッコの治安維持にあたり、ヨーロッパでの戦闘には参加しなかった。
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