チュニジアの戦いとアフリカ、シシリーの失陥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:12 UTC 版)
「ドイツ陸軍 (国防軍)」の記事における「チュニジアの戦いとアフリカ、シシリーの失陥」の解説
1942年11月、トーチ作戦によりアルジェに連合軍が上陸しフランス領チュニジアを脅かしたため、アフリカ軍団はエル・アラメインを引き払って長い退却行を開始し、リビアを放棄してチュニジアを確保した。一時は連合軍に大損害を与えて攻勢を頓挫させたものの、1943年5月にはチュニジアの全部隊が降伏する事態となった。連合軍はこれに続いてハスキー作戦を発動し、シシリー島を制圧した。本土の一部たるシシリー島を失ったイタリアではムッソリーニが失脚した。連合軍は9月にイタリア本土に上陸を開始し、直後にイタリア政府は降伏したが、ドイツが直ちにイタリアを占領して新政権をローマから追い、イタリア戦線が形成された。
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