チュニジア独立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 00:57 UTC 版)
「アルベール・メンミ」の記事における「チュニジア独立まで」の解説
初等教育は、主に地中海沿岸諸国に離散していたユダヤ人(セファルディム)の子弟に対してフランス語による初等教育を行うために1860年に設立されたアリアンス・イスラエリット・ユニヴェルセル(フランス語版)で受けた。チュニスのフランス語中等教育機関リセ・カルノに入学し、アルジェリア生まれの作家・文芸評論家ジャン・アムルーシュ(フランス語版)に師事。さらに、アルジェ大学(フランス語版)で哲学を専攻した。 1942年にナチス・ドイツがチュニジアに侵攻し、数か月にわたってユダヤ人数千人を強制収容・強制徴募した。連合軍の爆撃によって道路、橋梁、空港などの戦略上重要な施設が破壊されると、ドイツ軍はこの修復のために17歳から50歳までのユダヤ人約5千人を強制労働に就かせた。メンミは1943年にこうした強制労働収容所に入れられた。 哲学のアグレガシオン(一級教員資格試験)の準備のために渡仏し、ソルボンヌ大学に学んだ。帰国後、母校のチュニス・カルノ高等学校および社会心理学研究所で教鞭を執る傍ら、(後のチュニジア共和国初代大統領)ハビーブ・ブルギーバが1932年に創刊したフランス語新聞『アクシオン・チュニジエンヌ(フランス語版)』の文学欄を担当。チュニジア独立運動に参加した。チュニジアのユダヤ人として、「アラブ人との共闘を選択した数少ない一人である」。
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