チュニスでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 15:48 UTC 版)
「バルバロス・オルチ」の記事における「チュニスでの活動」の解説
1504年ごろにオルチは2隻のガリオット船を率いてチュニスに向かい、チュニスを支配するハフス朝のスルターンと交渉し、港湾施設の利用と引き換えに戦利品の5分の1を献上する取り決めを交わした。チュニスの外港であるラ・グレットを本拠地としたオルチはガリオットでローマ教会が所有するガレーを奪い、その戦果はチュニスとヨーロッパの両方に衝撃を与えた。船舶を襲撃する一方で戦利品の木材を利用して8隻の新たな船を建造し、フズールとイスハークの2人の弟も海賊稼業に参加するようになった。また、必要な時に援助を受ける見返りとして、オスマン帝国に贈物を差し出していた。 一団はジェルバ島を拠点としてイタリアの海岸地帯を襲撃し、1512年にスペイン軍によって領地を追放されたベジャイアの領主の要請に応じて西に進軍する。この時のオルチの一団は12隻の大砲を備えたガリオット、1,000人のトルコ人海賊、加えてキリスト教からの改宗者やムーア人を擁していた。
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