チェンバロ用組曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 07:31 UTC 版)
「ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー」の記事における「チェンバロ用組曲」の解説
フローベルガーは、しばしばバロック時代の組曲の創始者とみなされている。フローベルガーの作品によって、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグの4つが組曲には欠かせない構成舞曲として確立されたとされるからである。ただし、ジーグの位置については議論もある。フローベルガーの自筆譜では、ほぼすべての場合において、ジーグは2曲目におかれているが、後のバロック時代の作曲家の組曲では、ジーグは終曲におくことが普通だからである。こういった組曲の形式は、フランスのリュート音楽の影響が色濃い。 フローベルガーは標題音楽を作曲したことでもよく知られ、これらの曲は組曲に多く含まれている。これらの作品はどれもとても私的なもので、個性的な題名を持ち、情感の豊かな曲風である。以下に例を挙げる。 「アルマンド。荒れ狂うライン川を小舟で渡りながら作曲。」(Allemande, faite en passant le Rhin dans une barque en grand péril) 「皇帝フェルディナント3世陛下の痛切の極みなる死に捧げる哀歌。1657年」(Lamentation faite sur la mort très douloureuse de Sa Majesté Impériale, Ferdinand le troisième, An. 1657) 「私が盗まれ、思うがままに奪われたもの、そして何より私をひどい目にあわせた兵士たちへの哀歌」(Lamentation sur ce que j'ay été volé et se joüe à la discretion et encore mieux que les soldats m'ont traité、旅行中に兵士たちに身ぐるみ強奪されたことをうけて) 「ローマ王フェルディナンド4世の悲しき死に捧げる哀歌」(Lamento sopra la dolorosa perdita della Real Maestà di Ferdinando IV Rè de Romani) 「私の来るべき死についての瞑想」(Méditation sur ma mort future) 「ロンドンで憂鬱を吹き払うために書いた不平」(Plainte faite à Londres pour passer la melancholie) 「ブランクロシェ氏に捧げる、パリにて書いたトンボー」(Tombeau fait à Paris sur la mort de Monsieur Blancrocher) これらの作品には、しばしば比喩的な作曲法が用いられている。リュート奏者ブラクロシェへの哀歌では、下降音階によってブラクロシェの命取りとなった階段からの転落を表現したり、フェルディナント3世への哀歌では上昇音階によってフェルディナントの昇天を表現している。またフェルディナント3世への哀歌では、最後に単声でヘ音を3回鳴らす。「ライン川を渡りながら作曲したアルマンド」では、26のパッセージが記され、それぞれに説明が加えられている。
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