チェコスロバキア成立以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:18 UTC 版)
「ブラチスラヴァ - ブジェツラウ線」の記事における「チェコスロバキア成立以後」の解説
スロバキアおよびチェコ域内の帝室オーストリア国家鉄道(kkStB)およびハンガリー国家鉄道(MÁV)は1918年のチェコスロバキア共和国成立に伴いチェコスロバキア鉄道省運営のチェコスロバキア国家鉄道(ČSD, Československé státní dráhy)に移管され、国内の地方私鉄も一部を除いて国有化された。 オーストリア=ハンガリー帝国時代の鉄道は、ウィーンおよびブダペストを中心に放射状に整備されてきたため、チェコスロバキア共和国では国内を東西に横断する鉄道ルートの確保整備が最重要課題となった。旧kkStBブラチスラヴァ中央駅 - ジェヴィンスカノヴァーヴェス間と旧モラヴィア渓谷鉄道ジェヴィーンスカノヴァーヴェス - クーティ - ブジェツラウ間は、プラハとブラチスラヴァを結ぶ幹線ルートに位置づけられてただちに複線化が行われ、ブラチスラヴァとプラハやウィーンを結ぶ最重要幹線となった。 1929年、ランジュホト - ブジェツラウ間のブジェツラウ方に新線が設けられてブジェツラウ鉄道駅への配線を変更。ブラチスラヴァ方面とブルノ、プラハ方面の直通列車が不可避だったブジェツラウ鉄道駅での機回しが不要になった。1936年には290.0形ガソリン動車による自動高速(MR)列車『スロヴェンスカーストレラ』が本鉄道線経由で運行を開始した。 その後も20世紀後半にかけて数多くの貨物・旅客長距離列車が運行される最重要路線の地位を保ちつづけ、1967年にはスロバキアで初となる交流(25000V/50Hz)電化が行われた。 1993年の連邦制解消に伴うスロバキア国鉄(ŽSR)移管後は、新たに位置づけられたスロバキア国内の東西幹線(ブラチスラヴァ - コシツェ間、ブラチスラヴァ - ジリナ鉄道線およびジリナ - コシツェ鉄道線)に近代化整備の優先順位を奪われる形となり、本鉄道線は現在もチェコスロバキア時代と同じ最高速度140km/h規格のままとなっているが、スロバキア運輸建設省は2020年代以降、将来の最高速度200km/h化を含む近代化整備を本格化する方針を示している。
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