チェコスロバキア第一共和国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/04/06 19:05 UTC 版)
「農業党 (チェコスロバキア)」の記事における「チェコスロバキア第一共和国時代」の解説
1918年のチェコスロバキア建国後は、多くの政党が乱立し、不安定化のきらいがあった議会政治における「かなめ党 pivotal party」として、東欧の新興独立諸国の中で例外的に議会制民主主義体制が機能する役割を担った。また、シュヴェフラ(1922-26、1926-1929)、フランチシェク・ウドルジャル(1929-1932)、ヤン・マリペトル(1932-1935)、ミラン・ホッジャ(1935-1938)、ルドルフ・ベラン(1938-1939)が首相を務めた。 1922年に、スロバキア国民共和農民党 (Slovenská národná a rolnická strana)を吸収して、農業者・小農民共和党と改称した。1933年、シュヴェフラの死去に伴い、ベランが党を率いた。 農業党は、労働者の利益を代表する社民党や国民社会党との協力に否定的な右派を抱え、しばしば党内対立の原因となった。たとえば、1932年7月、社民党に譲歩しがちなウドルジャル政権の政治指導に反発し、年金保険法案の採決に際して、農業党右派に属する上院議員が造反した。またトマーシュ・マサリクの後任を選出する1935年の大統領選挙をめぐって、エドヴァルド・ベネシュの対立候補として、植物学者で元カレル大学学長のボフミール・ネメツを擁立する動きを見せた。
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