タイガー岡内との激戦
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同1984年11月1日、日本キックボクシング界で分裂していた7団体のうち、4団体を統合した日本キックボクシング連盟が設立される。新日本キックボクシング協会もそのひとつの団体として共鳴し参入加盟した。翌1985年(昭和60年)6月7日、日本キックボクシング連盟興行に於いて、タイガー岡内(岡内ジム会長)と対戦することとなるが、元木は素早いパンチの連打をタイガーに浴びせ、1ラウンドKOでマットに沈めた。 しかし両者の戦いはこのままでは終わらず、同年11月9日、タイガー岡内と日本キック連盟ライト級王座決定戦として再戦することになる。再び元木の攻勢は続くも、粘りに粘った岡内をマットに沈めることはできず、試合は判定まで持ち越された。採点結果を待つ間にも観客からは元木の勝利を確信する歓声が湧き上がり、元木自身も勝利を確信したのかリングの中央に立ちチャンピオンベルトを巻く準備を整えていた。 やがて、レフェリーから「勝者、タイガー岡内!」との声が上がり場内は騒然となった。手を挙げられた岡内は唖然とし、観客席からもブーイングの嵐となった。チャンピオンとなったタイガー岡内は翌年の後楽園ホールでの興行の中で突如引退を宣言。再戦を望む伊原ジムの伊原信一会長がリングに駆け上がり「元木とハッキリ最終決着を着けんか!」と叫ぶ場面もあったが、タイガー岡内はこれを拒みリングを去り、両者の最終決着が果たされることはなかった。 その後、タイガー岡内の愛弟子で「タイガー」の名前を受け継いだ、岡内会長をも越える素質で将来を大きく期待されていたライト級新人王のタイガー明(岡内)と対戦するも、ゴングが鳴るなり力の差を見せ付けるかのように、得意の力強い左ミドルキックをタイガー明の脇腹へ仕掛け、先制攻撃で圧力をかけた。そこからは、一発一発切れの良い左右の重いパンチが炸裂、顔面から激しく流血するタイガーの返り血によって、元木浩二の純白のトランクスは、あっという間に真っ赤に染まった。留目はやはり得意の鋭い左ストレート、1ラウンドKOでキックの虎をマットに沈めた。 東京スポーツ新聞には「さすがキックのベテラン元木浩二、キックの虎を1R・KO」と掲載される。
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