ゾラン・プリモラッツとは? わかりやすく解説

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ゾラン・プリモラッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/07 04:12 UTC 版)

ゾラン・プリモラッツ
基本情報
ラテン文字 Zoran Primorac
愛称 ゾッキ
生年月日 (1969-05-10) 1969年5月10日(55歳)
国籍 クロアチア
出身地 ユーゴスラビア ザダル
選手情報
最高世界ランク 2位
利き腕
グリップ シェークハンド
ラケット ティモボル・スピリット-FL
フォア面ラバー テナジー・05
バック面ラバー テナジー・05
戦型 ドライブ主戦型
ITTFサイト WTTプロフィール
獲得メダル
卓球
ユーゴスラビア
オリンピック
1988 ソウル 男子ダブルス
世界卓球選手権
1987 ニューデリー 男子ダブルス
1987 ニューデリー 男子団体
1991 千葉 男子団体
クロアチア
世界卓球選手権
1993 イェーテボリ 男子シングルス
1995 天津 男子ダブルス
1999 アイントホーフェン 男子ダブルス
■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧

ゾラン・プリモラッツ(Zoran Primorac, 1969年5月10日- )は、クロアチア卓球選手。現ITTFアスリート委員長。

略歴

クロアチア(当時はユーゴスラビア)・ザダル出身。コーチのマリオ・アミズィッチの下、指導を受ける。1987年世界選手権男子ダブルスでは、イリヤ・ルプレスク(ユーゴスラビア→セルビア・モンテネグロアメリカ)とのペアで準優勝。翌年のソウルオリンピック男子ダブルスにおいても、イリヤ・ルプレスクとのペアで決勝に進出し、銀メダルを獲得した。1991年世界選手権の団体で準優勝した翌年、ユーゴスラビア崩壊。以後クロアチアの選手として出場し、翌年の世界選手権ではベスト4に入り、初のシングルスでのタイトル獲得となった。

2007年ベオグラードで行われたヨーロッパ卓球選手権男子団体戦ではトシッチ、譚瑞午らと共に準優勝を経験している。

2012年のロンドンオリンピックに出場し、ヨルゲン・パーソンジャン=ミッシェル・セイブと共に1988年のソウルオリンピックから7大会連続での出場となった。男子シングルスでは、2回戦でen:El-sayed Lashinに敗れた。同年11月、クロアチアのオリンピック委員会の副会長に選出。任期は4年[1]

2016年第53回世界卓球選手権団体戦に出場し、韓国に敗退したものの、自身の試合では朱世赫を3-0で破った[2]。この時プリモラッツは46歳である。

2018年ITTFのアスリート委員長に就任した。任期は2022年まで[3]

プレースタイル

母国のスポーツライターに「まるで10種競技選手のよう」と言わしめた身体に染み込ませた、しっかりとした基本技術を軸とする両ハンドプレーが得意であり、ミスが少ない。 サーブ孔令輝と同様、バックサーブを多用する。バックサーブをするときに舌を出す癖がある。

主な戦績

  • ヨーロッパユース卓球選手権

その他

脚注

出典

外部リンク




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