セルビア正教会の成立から永眠まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/16 19:50 UTC 版)
「サワ (セルビア大主教)」の記事における「セルビア正教会の成立から永眠まで」の解説
ストゥデニツァ修道院に父シメオンの不朽体は納められ、サワは同修道院の指導者となり、多くの修道士・教師の教育にあたった。ストゥデニツァに居を定めたサワは教会の組織化に着手し、同行した修道士たちを司牧・伝道のため各地に派遣した。サワはしばしばストゥデニツァ郊外の人里離れた場所にある庵に籠り、精神力を高めていた。 サワはその後、セルビアにさらなる正教の強化・発展をもたらすことを企図し、皇帝(当時東ローマ帝国の亡命政権であったニカイア帝国の皇帝)とコンスタンディヌーポリ総主教庁に対し、セルビアの教会に独立正教会位を与えるよう要請。要請は受け入れられて独立正教会たるセルビア正教会が設立されたが、その初代の首座主教たる大主教には、サワの意向に反してサワが選ばれ、1219年にサワは初代セルビア大主教に着座した。サワ以前にはギリシャ人主教がセルビアの教区指導に当たっていたが、後任の初代セルビア大主教をコンスタンディヌーポリ総主教庁の許可を得ずに選出することが可能になった。セルビアはオフリドの大主教管区から解放され、セルビア正教会の独立と自治が承認された。 着座後、サワはセルビアにおける正教の定着に尽力し、改めて兄ステファン・ネマニッチに戴冠を行った。サワの着座後には、多くの教区にセルビア人主教が叙聖されていった。宗教書の翻訳、父の伝記である『聖シメオン伝説』の執筆といったサワの著述活動は、セルビア文語の発展に大いに貢献した。 1233年に大主教位から退き、東方に旅立つ。東方旅行の中でセルビア人巡礼者のための宿泊施設を設置し、彼らの受け入れを手配した。1236年、エルサレム聖地巡礼の帰途、タルノヴォに立ち寄り、神現祭を司祷。その後、肺炎を患い、そのまま同地で永眠した。
※この「セルビア正教会の成立から永眠まで」の解説は、「サワ (セルビア大主教)」の解説の一部です。
「セルビア正教会の成立から永眠まで」を含む「サワ (セルビア大主教)」の記事については、「サワ (セルビア大主教)」の概要を参照ください。
- セルビア正教会の成立から永眠までのページへのリンク