セルビア建築の最盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 15:28 UTC 版)
「東欧諸国のビザンティン建築」の記事における「セルビア建築の最盛期」の解説
デチャニ修道院中央聖堂はロマネスクの影響の強い建築物であるが、実際には、当時のセルビア王国は、皇帝アンドロニコス2世パレオロゴスの娘シモニスを娶ったステファン・ウロシュ2世ミルティンによってかなりビザンツ化しつつあった。これがセルビアのビザンティン建築の第2段階で、セルビア・ビザンティン建築が確立された時期であると言ってよい。ミルティン王から、皇帝を称したステファン・ウロシュ4世ドゥシャンまでの間に、セルビア王国はバルカン半島の東ローマ帝国領を軍事制圧し、占領地から東ローマ帝国の建築家や技師を雇って、多くの修道院を建立した。 ミルティン王は、ステファン・ネマニャによって開かれたアトス山のヒランダル修道院に、中央聖堂を建立した。1303年に建設されたこの聖堂は、まだ充分に研究された建築物ではないが、純粋なビザンティン建築で、テッサロニキ、あるいはコンスタンティノポリスの建築家が施工したものと考えられる。身廊の四隅に円柱を備える伝統的な四葉形であるが、独創的な点として2つのドームを持つ奥行きの深いナルテクスが付属する。アトス山でも重要な役割を担う修道院の中央聖堂として、この構成はセルビアの教会堂建築にかなり大きな影響を与えた。 1307年に建設されたプリズレンのリェヴィシャの生神女教会は、かなり変わった建築である。既存の3廊式バシリカの中に、中央ドームを頂くややクロス・ドーム・バシリカに近い平面の教会堂がはめ込まれており、このため身廊の部分が3廊で構成される。ドームは中央のほか四隅にも設けられているが、内部空間を特徴づけるものではない。外観を特徴づける1基の鐘楼は外ナルテクスの中央に据えられる。スタロ・ナゴリチノの聖ジョルジェ聖堂(スヴェティ・ジョルジェ聖堂)も、既存の建築物の内部に増築されたもので、中央に大型のドームと、四隅に小型のドームを設ける。煉瓦と石を交互に積層し、クロワゾネを形成する手法は中央ギリシアのビザンティン建築に類似している。 第2期末の最も重要な聖堂となるのが、セルビアの教会堂の女王と呼ばれるグラチャニツァ修道院の付属聖堂である。この聖堂の平面は基本的には内接十字型であるが、トンネル・ヴォールトで構成された十字の上に、それより短い十字平面の構造が載り、さらにその上に十字型構造が載る3層構造となっている。壁面は中央ギリシアのビザンティン建築と同じように石と犬歯飾りを繰り返すが、全体としては垂直性を強く意識したものとなっており、ラシュカ派の伝統を強く意識したものになっている。
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