スフール洞窟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/09 09:12 UTC 版)
スフール洞窟 (Skhul cave) は「子山羊の洞窟」の意味で、他の3つの洞窟から離れて、一番東に位置している。1932年にギャロッドが調査を始めたが、タブーンに比べると小規模だったため、当初はタブーンのついでに調査を行うとばかりに、大した成果は期待されていなかった。しかし、ここからは重要な発見がいくつかあった。スフールの地層は大きくA、B、Cに分類されている。一番上のA層からはナトゥフ文化やオーリニャック文化の石器が見つかっている。その下のB層からは中期旧石器が多く見つかっている。さらに下のC層になると、動物の骨も見つからず、石器もまばらにしか含まれていない。 このうち最も重要なのがB層で、ここから10体の人骨が発見された。それらはホモ・サピエンスの特色を備えており、あわせてムスチエ文化の石器が1万点以上出土した。それらの人骨のいくつかは、出土の状況から、明らかに埋葬の文化を持っていたことが推測されており、現在知られている中ではそうした文化の証拠としては最古の部類に属する。この中でも、とくに状態の良かった成人男性の全身骨格「スフール5」は、イノシシの骨を抱くようにして埋葬されており、イノシシの骨は副葬品であった可能性が指摘されている。また、同じく成人男性の全身骨格「スフール4」は、副葬品らしきものは伴っていないが、腕や足を折りたたむようにして出土しており、これも埋葬されたものと見なされている。 スフール5は、当初4、5万年前と見積もられていたにもかかわらず、ネアンデルタール的特色を備えているホモ・サピエンスとして、混血の証拠ではないかと議論になった。現在ではESR法の測定によって、タブーン1に近い10万年前後と見積もられており、ネアンデルタール人に近い特色は混血によるものではなく、ホモ・サピエンスの中でも早期に属することが理由と考えられている。タブーン1と近い時期であったことが確認されたことで、ホモ・サピエンスとネアンデルタールがほぼ共存していたことが明らかになったが、直接的な接点があったかどうかは不明である。少なくとも、寒冷化が進んだ時期にはネアンデルタール人がヨーロッパから南下し、温暖化が進むと彼らが後退する代わりにアフリカからホモ・サピエンスが北上するといった生息域の交代は起きていたようである。このスフール5の時代から4、5万年ほどの間、ホモ・サピエンスの痕跡は見られなくなる。こうしたことから、その時点でナハル・メアロットや近隣のカフゼーなどにいたホモ・サピエンスは、その後のユーラシア大陸への拡散には直接的に貢献しなかったらしいと考えられている。 2006年になると、スフール洞窟から出土していたムシロガイ (Nassarius gibbosulus) をつなぎ合わせたビーズが再発見された。これは1930年代に発見されていたにもかかわらず、博物館資料にしまわれたままになっていたものである。この再発見により、この種の装身具の製作が10万年以上までさかのぼることが明らかになった。 スフール洞窟 出土した人骨
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