スバックの運営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 08:00 UTC 版)
スバックは、バンジャール(部落)やデサ(村)とは独立して形成されており、その構造はさながらひとつの村のようである。スバックの構成員(クラマ・スバック)は灌漑耕地の所有によって決定される(したがって、あるバンジャールの構成員がいくつかの異なるスバックに分かれて所属していることもある)。 クラマ・スバックのあいだでは定期集会が開かれ、スバックの長(クリアン・スバックないしプカセ)が構成員の中から互選され、アウィグ・アウィグと呼ばれる合意事項が定められ、スバックはこれにしたがって運営される。具体的には、独自に土地税を徴収し、共同作業(ゴトン・ロヨン)への参加を義務として課し、水の取り入れの権利を強く保証し、紛争時には調停を行うとともに、盗水などの違反行為に対する厳しい罰則規定を設けるといった活動がみられる。文化人類学者のクリフォード・ギアツの観察するところ、「スバックの言葉は法であり、それに逆らうことは犯罪」なのである。 スバックの運営における以上のような宗教社会的自律性をみて、ギアツはウィットフォーゲル流の水利社会説を批判すべく、次のように叙述している。 〔スバックの〕寺院(や祭壇や棚田)での活動は、スバック全体が機能する際に必要な相互調整の機構だった……。バリの灌漑体系が機能することを可能とし、その体系に形態と秩序を与えていたのは、膨大な水利施設と苦力労働者の大群を支配する高度に集中化された政治体制、すなわち「全体的権力」を追求する「アジア的専制君主」の「水利官僚制」なのではなかった。それは、社会学的には成層化し空間的には分散し行政的には非集中的で精神的には強制力を持つ、儀礼義務の集合体であった。
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