スバス・チャンドラ・ボースの来訪と自由インド仮政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 04:42 UTC 版)
「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の記事における「スバス・チャンドラ・ボースの来訪と自由インド仮政府」の解説
1943年10月にインド独立連盟によって創設された自由インド仮政府の主席となったスバス・チャンドラ・ボースは、翌11月6日に東京で開催された大東亜会議において日本の東条英機首相から「現在日本軍が占領しているインド領アンダマン・ニコバル諸島を近く自由インド政府に帰属させる用意がある」旨の言明を受け、同年12月29日にアンダマン島を訪れた。 ボースは海軍第12特別根拠地隊の石川茂司令官と会談し、仮政府の代表団をアンダマン島に派遣駐在させることと、代表団の次席を海軍民政部の総務課長に就任させることを申し入れた。日本軍側は、前者には合意したが後者は軍事機密を扱うことを理由に反対し、結局民政部に新たに「文教課」を設け、仮政府の人士が文教課長とその他各課の分担勤務に就くことで合意した。 翌1944年2月12日、合意に基づいて自由インド仮政府のA.D.ロガナダン(英語版)軍医少尉以下5名がアンダマン島に来島し、駐在所を開設した。同年9月8日にロガナダン代表、翌1945年6月末に他の駐在員に帰還命令が出され、1945年8月2日に全員が英軍の攻撃の間隙を縫ってシンガポールへ帰還した。 ボースがアンダマン・ニコバル諸島の自由インド仮政府への帰属を求めたのは、統治機構と統治対象となる領土、領民を得ることで、自由インド仮政府に国家としての合法性を持たせるためだったと考えられている。自由インド仮政府によるアンダマン・ニコバル諸島の統治への関与は、日本軍の軍政に関与する形で実現をみたものの、1年余で解消されることとなった。日本の敗戦に至るまで、軍政を廃止し正式に統治を移管するには至らなかった。
※この「スバス・チャンドラ・ボースの来訪と自由インド仮政府」の解説は、「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の解説の一部です。
「スバス・チャンドラ・ボースの来訪と自由インド仮政府」を含む「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の記事については、「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の概要を参照ください。
- スバス・チャンドラ・ボースの来訪と自由インド仮政府のページへのリンク