スイス学生会館
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「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の記事における「スイス学生会館」の解説
スイス学生会館 (Pavillon suisse à la Cité internationale, Paris, 1930) は、1930年から1933年にかけてパリの国際大学都市に建てられたスイス人学生向けの学生寮である。スイスの大学当局がこの学生寮をル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレに依頼した背景には、1927年の国際連盟本部建設に関するコンペで、不透明な過程を経てル・コルビュジエが落選となったことを埋め合わせる意図があったともいわれる。学生会館には南側に学生の個室がならぶ住居棟がある。それはピロティによって持ち上げられた透明な直方体という点ではサヴォア邸と似ているが、その柱が太く重々しいものになっている点で異なっている。当初はサヴォア邸のような細い柱が並ぶ予定だったが、設計が変更されて現在のようになった。こうした柱の存在は、後年のユニテ・ダビタシオンにつながる萌芽的なものという指摘もある。住居棟は大きなガラス窓が並び、「透明な箱」であることを示すが、サヴォア邸との違いは個室の奥行きである。広大な敷地に1軒だけ建てたサヴォア邸と違い、学生会館の個室は相対的に狭く、奥行きも浅い。結果として、広く開けた窓が眩しさに対する苦情につながり、窓ガラスやブラインドの改修が行われた。 もうひとつの特色が、会議室や食堂を含む共用部分1階にある石壁の存在である。その重厚さは大地にどっしりと根を下ろしたかのような印象を与え、住居棟が持つ空中に浮かぶ透明な箱という印象とは対照的である。こうした異質な要素の併置の中に、サヴォア邸で到達した要素と後年のロンシャンの礼拝堂で具現化する要素の萌芽とが並存しているという見解もある。 2009年の推薦時には「集合住宅」に分類されていた。
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