ジョー・シーウエルとは? わかりやすく解説

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ジョー・シーウエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:13 UTC 版)

1930年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ジョー・シーウエル」の解説

10年前1920年8月クリーブランド・インディアンスレイ・チャップマン遊撃手が対ヤンキース戦でカール・メイズ投手投げた球を頭部受けて昏倒し、翌朝死去した事件があったが、この事件インディアンス選手奮起させて、リーグ優勝ワールドシリーズ制覇つながったとされている。そしてもう一つ忘れてならないのは、亡くなったチャップマン代わりに窮余の策として当時トリス・スピーカー監督マイナーから引き上げた選手ジョー・シーウェルで、スピーカー監督が驚くほど意外にシーウェル活躍し、そしてそれからレギュラー10年インディアンス遊撃手として出場したことであった。鋭い選球眼持ちバットコントロール巧みで、三振少な選手であった1923年打率.353で打点109マークしタイトルには届かなかったが、1925年から9年連続三振一桁台であり1929年にはフル出場三振4、そして115試合連続三振という記録打ちたてた。1922年から連続試合出場続け、この1930年途中1103試合連続出場までいってメジャーリーグ記録エベレット・スコットの1307試合)に近づいたが惜しくもこの年途中でヤンキーストレードされ出番がなく、連続試合記録途絶えた(この記録1932年に同じチームになったルー・ゲーリッグ破られた)。 シーウェルはまた空前絶後の記録持っている1920年から引退した1933年まで14年間をたった1本のバット使い切ったことである。ケンタッキー州ルイスビルのヒラーリッチ・ブラッズビー社が製造したルイスビル・スラッガー」はメジャーリーガー御用達バットとして定評があり、シーウェルもこの「ルイスビル・スラッガー」の40オンス・1132グラム重さバット(大抵の選手32オンス900グラム上のもの)を14年折らず使った。何故折れず使えたのかとの質問シーウェルは「正しスイング大切な手入れ」とその理由述べバット押してあるメーカー焼き印トレードマーク)のところで球を打たないこと(この部分には傷一つ無かった)、手入れ木目締めるため牛の骨でこする伝統的なやり方でなく「の骨でこすり、噛みタバコ磨き、それから空きビンバット擦ってすべすべにする」作業毎日慎重に行ったという。14年間の通算打率.312、通算三振はわずか104で、1977年殿堂入りした。殿堂入りにあたってバット一緒に展示したい博物館側が申し入れたが、79歳のジョー・シーウェル固辞した。「私の腕を博物館渡せるものか」老シーウェルにとって古びたバット身体の一部だった。

※この「ジョー・シーウエル」の解説は、「1930年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「ジョー・シーウエル」を含む「1930年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1930年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。

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