ジョージ・ハリスンによるレコーディング
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「ノット・ギルティ」の記事における「ジョージ・ハリスンによるレコーディング」の解説
作家のロバート・ロドリゲスによると、「ノット・ギルティ」は『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』のアウトテイクとして知られていたものの、一度も公に聴かれたことがなかったことから、1970年代後半にはビートルズのファンの間で多くの支持を得ていたとのこと。 1978年初頭、ハリスンは自叙伝『アイ・ミー・マイン』を執筆するにあたり、制作した楽曲の原稿を収集していた際に、「ノット・ギルティ」のデモ音源を再発見した。ハリスンは、1979年に発売のアルバム『慈愛の輝き』に収録する楽曲として、再びレコーディングを行なうことを決めた。この時、本作と同じくイーシャーでデモ音源を録音した「サークルズ」にも着手し、1969年に作曲した「ヒア・カムズ・ザ・サン」の続編として「ヒア・カムズ・ザ・ムーン」を作曲した。 セッションは1978年4月から10月にかけて行なわれ、オリヴィア・アリアス(英語版)と結婚し、2人の第1子となるダーニが誕生するなど、ハリスンにとって家庭的に充実した時期と重なった。また、ハリスンは、ラトルズが制作したビートルズのキャリアを風刺したモキュメンタリー『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』に出演するなど、かつてのバンドを取り巻く神話を否定することを楽しんでいた。同映画でハリスンに相当するキャラクターであるスティッグ・オハラは、ラトルズ解散後に脚光を浴びることなく、エア・インディアの女性客室乗務員に転身するという設定であるが、ハリスンは映画で自身の精神的なこだわりを風刺することを許容した。 ハリスンは、オックスフォードシャー州ヘンリー(英語版)にある自宅スタジオ「FPSHOT」で「ノット・ギルティ」のレコーディングを行ない、レコーディングにはニール・ラーセン、スティーヴ・ウィンウッド、アンディ・ニューマークらをサポート・ミュージシャンとして迎えた。ラーセンは本作の軸となるローズ・ピアノを演奏し、ハリスンはオリジナルのエレクトリック・ギターのパートをアコースティック・ギターのパートに変更した。また、10年前のビートルズのレコーディング時に難航した8分の3拍子のセクションも省略されている。落ち着いたジャズ調のアレンジで、ハリスンのスキャットとウィリー・ウィークスのベースとの相互作用で曲が終わる。ハリスンはアルバム発売を12月に予定していたが、アートワークの問題で遅延することとなった。12月15日、ビートルズが1963年まで定期的に公演を行なっていたハンブルクのスター・クラブ(英語版)の新装開店に、ハリスンはスターと共に参加した。 ハリスンは、本作をリッキー・リー・ジョーンズのデビュー・アルバムなどを手がけたワーナー・ブラザース・レコードのスタッフ・プロデューサーであるラス・ティテルマン(英語版)と共同でプロデュース。レングは、ハリスンによるリメイクをジョージ・ハリスンというシンガーの典型的な心象風景として捉えている。
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