ジュリー制度の変質とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ジュリー制度の変質の意味・解説 

ジュリー制度の変質

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 03:41 UTC 版)

ジュリー (柔道)」の記事における「ジュリー制度の変質」の解説

ビデオ判定の導入以降ジュリーによる審判員への介入顕著になってきたと言われる筑波大学准教授山口香によれば2009年8月ロッテルダム開催され世界選手権では準決勝以降試合主審インカム装着して、ジュリーテーブルにいるIJF審判理事であるフアン・カルロス・バルコス指示受けていたという。そこでは単なるアドバイスとどまらず、「ブルー柔道着に指導を」といった細かな指示まで出されていた。指示絶対であり、逆らうこともできない。なお、副審インカム装着していないので何が指示されているのか全くわからず蚊帳の外置かれていた。とりわけ大会では、男子90kg級準決勝ウズベキスタンディルショド・チョリエフ対ロシアキリル・デニソフ戦でそれが顕著に現れた。チョリエフがリードしてむかえた終盤デニソフ朽木倒でチョリエフが崩れたものの主審ポイント与えなかった。ところがその時IJF会長であるマリウス・ビゼール立ち上がってバルコスの下に駆け寄り、何かを耳打ちした。するとバルコスからの指示により主審デニソフに有効を与えてデニソフ勝利となった。なお、この時ビゼールの隣にはヨーロッパ柔道連盟会長であるロシアのセルゲイ・ソロベイチックが位置していたこともあり、判定何らかの関与働いたではないかとの邪推なされるような状況にあった一方で、今大会で審判員務めた天野によれば自身インカム通じてジュリーから指示受けたことは一度もなかったという。また、審判時に判定に関して混乱生じることも有り得る事から、第三者として見ているジュリーによる無線からの指示は、必ずしも悪いことではないのではないか」との見解示した。 なお山によれば2009年12月開催されグランドスラム・東京2009でも、審判員判定下した後にそれが訂正されるとがないか、ジュリーテーブルのバルコスを気にすることしきりだったという。 2010年9月東京開催され世界選手権でもバルコス主審に対して盛んに指示与えており、主審はそれに意見することも、副審2名を集めて協議するともなく唯々諾々受け入れていたという。例えば、男子90kg級2回戦小野卓志対ギリシャイリアス・イリアディス戦では、開始早々イリアディスの払巻込小野崩れたものの、主審副審ポイントを示さなかった。ところが、バルコス指示によって有効ポイント入った。さらに終盤にはイリアディスが小野の足を掴むものの、この場合反則該当しないとの判断下した今年から相手下半身直接手や腕が触れると反則負けになるという新ルール導入されたことにより、反則認められていれば小野勝利になっているところであった加えて試合が終わると審判団バルコスのもとに駆け寄り怒られながらあれこれ教示受けてもいた。この頃には各国コーチもその点に気付いて判定抗議する場合審判員ではなくバルコス異議を唱えるようになっていた。

※この「ジュリー制度の変質」の解説は、「ジュリー (柔道)」の解説の一部です。
「ジュリー制度の変質」を含む「ジュリー (柔道)」の記事については、「ジュリー (柔道)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ジュリー制度の変質」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジュリー制度の変質」の関連用語

ジュリー制度の変質のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジュリー制度の変質のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジュリー (柔道) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS