ジャンベの普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 02:38 UTC 版)
この太鼓を世界に紹介し、普及させた功労者としてはギニア出身のママディ・ケイタ(Mamady Keita)が有名である。 背景に1960年代のアフリカ諸国の独立運動とアフリカン・ナショナリズムの台頭が挙げられる。特にギニアでは独立後、国威発揚のために国の伝統音楽家を発掘し、育成する国策がとられた。この時期に国立のバレエ団が結成され、ママディなどはそこでジャンベソロプレイヤーとして活躍したが、後の政情不安によりフランスへ脱出した。しかしそれがヨーロッパにジャンベと西アフリカの伝統音楽を紹介する導火線となった。 ママディはその後世界各地にジャンベと西アフリカの伝統音楽を紹介する学校「タムタム・マンディンゴ」を設立。ギニアやセネガルのジャンベプレイヤーがその後、続々と欧米、日本に進出するようになった。 1991年にはロラン・シュヴァリエ監督によりママディ・ケイタのドキュメンタリー映画『Djembefola』(ジャンベ奏者の意)がフランスとギニア合作で作られ、日本では『ジャンベフォラ〜聖なる帰郷〜』の邦題で公開されたことから日本ではフランス語に従って「ジャンベ」と言われるようになったという説がある。 アフリカの若者が欧米にあこがれるのと逆に、欧米や日本などの若者がジャンベを通してアフリカを訪問するケースも増えている。 ジャンベの持つ低音から高音まで一台で発音できる長所は、伝統的な演奏形態だけではなく、ロックやジャズなどの自由な演奏形態でも用いられるようになってきた。 前述のとおり、一本の木をくり抜き、ナイロンの紐でチューニングするアフリカ製の物が伝統的で良いという認識であるが、モリダイラ楽器はLP(Latin Percussion / ラテンパーカッション)(英語版)のジャンベを「LP Galaxy Giovanni シリーズのウッドジャンベは世界中で最もすばらしいジャンベといえるでしょう。アフリカンジャンベを元にダイナミックなサウンドをお届けします。」としている。
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