ジャパネットたかた社長時代
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「高田明」の記事における「ジャパネットたかた社長時代」の解説
30歳で佐世保市に「カメラのたかた」支店を出店し移住、1986年1月、「カメラのたかた」から独立し、同市三川内本町で「株式会社たかた」を設立。1999年までは、実父・政雄が同社の会長を務めていた。 「株式会社たかた」では、カメラフィルムの「即日現像・手渡し」を旗印に、カメラ販売で業績を拡大。また、一般家庭へのビデオカメラの普及を機に、ソニーの特約店になる。さらに、カラオケブームの到来に合わせて、パイオニアのカラオケセットを販売。1990年、明は知人を通じて、長崎放送が始めるラジオショッピング番組内への出演を依頼された。この放送でコンパクトカメラを販売したところ、5分の放送で50台が売れたことが、通信販売に進出するきっかけとなった。1994年6月にはテレビショッピングに進出し、テレビ長崎にて放送を開始。1999年5月に社名の「たかた」を現在の「ジャパネットたかた」に改め、2001年には前述の長崎放送で第1回生放送テレビショッピングを開始した。 ジャパネットたかたでは、佐世保市日宇町の本社屋内に設けたスタジオを中心に、自社運営のスタジオで日本全国のテレビ・ラジオ局に向けてショッピング番組を制作。明自身も、「代表取締役社長 高田明」として、肥筑方言訛りの甲高い語り口で商品を紹介していた。やがて、紹介や放送の機会が増えるにつれて、高田の存在や語り口が広く知られるようになった。 2010年12月期に過去最高の売上高(1,789億円)を記録。しかし、売上の6割を占めてきたテレビの販売が不振に陥るなどの影響で、2011年度から2年連続で売上高が減少した。この状況に危機感を抱いた高田は、2013年を「覚悟の年」と位置付けたうえで、2013年度中に過去最高益を出せなければ社長を退任することをインタビューや出演番組などで公言していた。同年12月期決算の時点で、過去最高益となる約150億円以上の経常利益を達成する見通しが立ったことから、「長くても2年(後の2015年度までに勇退する)」という条件付きで社長職を続けていた。 妻はジャパネットの元副社長で、子供は3人。長男の高田旭人は2003年に入社し、2012年から副社長と東京オフィスの代表を兼務していた。2013年頃からは、明が出演する番組において、旭人が「次期社長」として紹介されることがあった。明自身は後継の社長職を、旭人に任せる意向を明らかにしていた。 2014年7月11日、ジャパネットの創立記念日である2015年1月16日で、代表取締役社長職を旭人に交代することが明らかになった。現に同社では、2015年1月16日付で上記の人事を発表するとともに、コーポレートロゴを英字表記の「Japanet TAKATA」に改めている。
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